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『ハイ-ライズ』 J.G.バラード著/村上博基訳 ハヤカワ文庫 SF,1980

ハイーライズ (ハヤカワ文庫 SF 377)

ハイーライズ (ハヤカワ文庫 SF 377)

「1975 年に書かれたタワーマンションの話」――といえば、読んだことのある方ならああ、あれか、となると思う。バラードは 1960 年代から 70 年代に活躍したニューウェーブ作家のひとり……らしいのだがニューウェーブ周りって殆ど読んだことないのでそれ以上のことは書きようがない。すいません。山野浩一先生とかもニューウェーブのくくりに入るらしいんですが。


主人公のひとりであるラングはロンドンの中心部にほど近い地域に新築なった 40 階建ての高層マンションの中層階に独りで住んでいる。医師であり、また大学で講義を持っており、充分な経済力と社会的地位を備えているがこのマンションでは中層に属することとなる。おおむね上に行くほど金持ちが住んでいて、下に行くほど(相対的には)収入や地位の低い人間が住んでいる。マンション内にはプールや運動場があり、スーパーマーケットや学校もあって、その気になればマンションの中だけで生活が完結してしまう。要するにあからさまに階層構造があらわになった閉じたコミュニティであると言える。


そのコミュニティが、成立とほぼ同時に崩壊を始める。崩壊よりは腐敗と言うべきかもしれない。エレベーターや空調やダストシュートが次々に不調に陥り、プールには上層階の住人の犬の死体が浮かび、通路やエレベーターホールにごみがあふれ始める。作者は折に触れて悪臭に言及する。巨大な生物の四肢の末端が血行不良で壊死していくように、マンションはどんどん腐っていく。そして最初の死者が出る。


当時すでにマンションは一般的だっただろうが、ここまで鮮明にマンション内での階層というものは可視化されていなかったのではないかと思う。しかし「下層階の住居には子供がいて上層階の住民は犬を飼っている」とか、「上層階の住民の駐車スペースの方が(エレベータの待ち時間が長いからという理由で)マンションに近い側に設定されているため、マンションに近いほど高級な車が駐まっている」とか、妙にいやらしいリアリティがあるのだ。
だから、腐敗自体にはさほどの現実味はないにもかかわらず、なにか絵空事と切って捨てられない不快感を伴っている。警察が一瞬介入しそうになるが結局入ってこないあたりもそうだ。住民たちが自ら問題はないからだいじょうぶだというようなことを言って追い返してしまう(らしい)のだけど、ラングはその場面に立ってすらおらず、ただ上からそれを見下ろしてそんなようなことをしているのだろうと想像しているだけなのだ。この当事者感のなさ。


クライマックスらしいクライマックスはなく、ただただ腐り続ける巨体の中で細胞たちが悪あがきのようにうごめいて、おそらくはそのまま死んでいく。その過程が淡々とただ気味悪さだけはしっかり伴って書かれている。なんなんだろうこの話は、という感想を抱いた。面白いか面白くないかでいうと、けっこう面白いんだけど。





ところで、なんでこんなタワーマンションを建てることになったのか、がもうひとつよくわからなかった。この時分だと人口爆発は予期すべき未来の姿だったと思うんだけど、立地はわりとロンドン中心部に近いらしかったり、ひとつの敷地に五棟建築されているのだが一番近い棟と四分の一マイル離れていたり、という感じでそこまで集積の必然性みたいなものは感じられない。





あと、今年なぜか映画になったようで、それに合わせて創元 SF 文庫で再版されたらしい。訳は一部修正した以外は変わっていないようだ。こっちの表紙は当世風でなかなか好き。(追記)
映画の評判は自分の観測範囲にはまったく入ってこなかったな……。