黄昏通信社跡地処分推進室

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ようするに好きにすればいいってこと

荒井君輝からコメントをもらった。ブログに書けよと思わなくもないけどおいといて。以下引用、一部略してます。


勝手に穿って決めつければ、短期間で存在価値形態規模を変えた挙句フツーにあるひとつの世界になったこれに歴史だとか意義だとか役目だとかを持ち出してその在り方を説く、というのは単純な傲慢さが潜んでいるし、個人的価値観の布教に過ぎないんじゃないですか、というこってす。たとえばブログがうざかったら自分の知識とスキルと行動力でどうにかすれば?その程度の自由は確保されているという噂だし。としか思えないんですよね。素朴に。フェイズというかレベルの違う話で恐縮ですが、この点をクリアにしてくれる意見を(文字通り)寡聞にして知らないもので一言(じゃないけど)。
これが技術を持たない人から出てくるのは面白い。その通りだとおれも思う。実はリソースの消費云々はおれが書いただけで、たぶんそれを言ってる人は殆ど居ない(多分に黎明期的な考え方です)。現時点では「リソースの消費」そのものは問題にならないレベルでしかない。
元ネタのスレッドで一番肝なのは、検索で愚にもつかないブログが一杯(しかも上の方に)釣れてうざい、というところ。だけど、一回書いた通りブログ自体はルールにもマナーにも触れるものではないのだから、どんなに google 様が“情報価値のない”ブログをいっぱいひっかけようとも、それは価値のないブログは止めちまえという主張を正当化するにはとても足りない。荒井の「じゃあ自分でなんとかしろい」というのはインターネットにおける伝統的なスタンスとして正当ですらある。
で、元記事界隈ではこれは検索エンジンの技術的な問題で、そのうち誰かがなんとかするだろう、というような話になっていて、まあそんなもんだろうとおれも思うので、前回「出尽くしたかなあ」と書いた次第。これはわりとまっとうな感覚だと思うんだけど、にもかかわらず「ブログウザイ」になるのはどうしてかな、と思ったんで前回書いた。
「リソースの消費の自覚」は多分に個人的な話です。前回の書き方だと一般論に見えていて、それは単純に文章的な失敗。