黄昏通信社跡地処分推進室

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似非フォーチュン活性化プロジェクト

意味不明な新企画。折角移植までしてほったらかしなのも寂しいので。毎日——は無理だろうから週に1・2回、一本引いてみて適当にコメントをつけます。で、コメントをつけたら一本以上リソースを追加することをおれ自身へのノルマとします。こうすることによってリソースを無理矢理ちょっとずつでも増やしていこうという魂胆。あ、でもサイトのデータ iBook に移してねえや……。
とりあえず一本引いてみる。えい。

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センチメンタリズムの入り込む余地がなければ、競馬になんの価値がある?

古いなあ。6番ってことは稼動当初からあるリソース。昔から見てる人は一度は引いてるだろう。
これは「成田隼」ってハンドルを使って netnews に投稿してた頃使っていた signature につけていた文章のひとつ。当時やたら署名に凝っていて、メインで使っている文章が5種類あった。一番使っていたのが「好きな種牡馬はアウザール、嫌いな種牡馬ミスプロ系全部」という奴で、なんというか時代を感じる。
センチメンタリズムというかロマンチシズムというか、そんなようなものは競馬を支えて行くために絶対必要だと思っていて、というのは本質的には競馬ってのは何の役にも立たないからで、それが何かを産むためにはそういう要素は根本的なところでは不可欠なんだろうと思う。
一方で、競馬産業が支えられているのは馬主の馬を買うお金とファンの馬券を買うお金によっているわけで、そのためには競馬がギャンブルであることはまあまず間違いなく必要で、だから署名につける文章にはもうひとつ「競馬なんて所詮ギャンブルに過ぎん」というのも使っていた。
おれは例えばギャンブル寄りの内容を投稿した時はこの文章の署名をつけて、馬に対する思い入れに寄った内容の時は逆に「所詮ギャンブル」をつけたり、というようにどちらかの立場に寄り過ぎないようにしようとずっと心がけてきた。今でもそうしている心算だけど、それは口で言うほど簡単なことではない。というかできてない。おれは。
しかし、仮にも「フォーチュン」と名のつくものでこれを引いたら、いかに超解釈が前提とは言えちょっと困るな。何を暗示してるのかさっぱりわからん。

リソース募集

「似非フォーチュン」では、リソース(表示する文章)を募集しています。

見た人に、なんらかの印象を与えるような言葉/文章。一発ギャグでも、オリジナルでも、知人の言葉でも、ポスターの文字でも、小耳に挟んだ一言でも、座右の銘でも、なんでも、いいです。「これは」と思った言葉を、お送りください。

殆ど送られてきたためしはありませんが。