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ペーパーレス社会の幻想

ペーパーレス社会なんて概念が提唱されて幅を利かせかかったのはもう随分前になるだろうか。実際のところオフィスで使う紙は減るどころか増えかねない勢いなのは周知の事実で、少なくともペーパーレスとはかなりほど遠いのが大抵の会社や組織の現状だろうと思う。
それが当事者の意識や努力不足に起因している部分があるのは間違いなく、どんなに短いメールでもプリントアウトしてしまったりとか、とりあえず会議の資料はプリントアウトして配ってしまったりとか、簡単に改善できる部分がまだまだあちこちに残っているのは事実だろう。何時まで経っても紙の使用量が減らないのは、頭の固い年寄りがなんでもかんでも印刷したがるからだ。そんなふうに考えていた時期が俺にもありました
ただ、もうひとつ大きな側面があることは見落としてはならない。それは単純に、紙の方がモニタより優れたデヴァイスである――少なくともそうである状況が少なくない――ということだ。
ぱっと考え付くだけでも、バックライト無し、スクロールバー無し、解像度は視力の限界まで、鉛筆があればコメントもチェックも思いのまま。ページをめくるという動作の素早さ、視認性の高さなども含めて、単に慣れの問題だけではなく紙の方が優れている点は決して少なくない。
だから、ペーパーレスをうたうなら、それが慣れの範囲でなんとかなることであるにしろ、「現在使っているデヴァイスより劣るものに移行しろ」ということであるのを忘れてはならない。その不便を強いているのだと言う自覚がなければ、当事者にそれを受け入れる覚悟のできよう筈もない。もう声高に叫ばれることもなくなったけど、ペーパーレスがうまく行かなかったのにはこういう側面があるんじゃないだろうか。
というのを、ここ何日かデータのチェックをするために湯水のごとく紙を使いまくって思った。そりゃトナーも尽きるっつうのな。
ちょっとだけ調べたところでは、中国なんかでは結構ペーパーレスが進んでいる会社もあるらしく、やろうと思えば可能であるのはやはり確かなようだ。それも「そもそも紙をどかすか使う段階まで進んでなかった」ことが逆にアドヴァンテージになってる部分もあるのかなあ、なんて思ったり。