黄昏通信社跡地処分推進室

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名前を残した馬たちへ2005 (3)

(1) →名前を残した馬たちへ2005 (1)
(2) →名前を残した馬たちへ2005 (2)

ダンスホールUSA(父 Assert,1986) 死亡
シンボリ牧場が導入した微妙にぱっとしない種牡馬。瞬発力が足りないしそれで居て底力もいまいち。輸入された時に誰だったかが「ルファビュルーミスプロと来て次がアサートでは後戻りの感もある」(大意)と書いていたのが何故か印象に残っている。結果的には正しい評価だったか。代表産駒はマウンテンストーンか? 高橋明が最初で最後の重賞を勝った青葉賞は忘れられない。まさに千載一遇のチャンスをつかんだ勝利だった。カミングアウトしておくと、時々ダンスオブライフとごっちゃにしてました。あんまり困らなかったような……。(←失礼過ぎ)
テンビーGB(父 Caerleon,1990) 輸出(アイルランド
おそらく一時期の Caerleon 人気で輸入された、のだと思う。導入直後は繁殖牝馬を集め、日本での初年度産駒からフジノテンビーを送り出したが、その後はぱっとしていない。とはいえまだ若く、頭打ちに近い状況で必要にしてくれるところがあるというのは幸せなことだろう。新天地での活躍を祈りたい。賞金頭がテンビーエースって状況だけはなんとかして欲しいところではあるけども。
トウケイニセイ(父トウケイホープ,1987) 用途変更
交流重賞夜明け直前に輝きを放った名馬。情報自体も少なかった当時のこと、この馬に関して知れることと言えば競馬ブック地方競馬ニュースぐらいしかなく、活字だけで伝わってくる戦いぶりにどれほど強い馬なのだろうと胸を躍らせたものだった。体質が弱いため遠征もままならず、ようやく全国の馬と対戦できたのは8歳時の南部杯。ここでライブリマウントに完敗を喫し生涯初めて連対を外すと、次走の桐花賞を勝って引退した。43戦39勝2着3回3着1回と、殆ど現実離れした成績だった。全く無名の父、露出しないキャリア、化け物じみた強さ、とギミック満載で、ある意味では中央−地方間の高い壁があったからこそ存在し得た形の名馬とは言えるのだろう。交流重賞があと1年でも早く始まっていればとも思うが、言っても仕方あるまい。父トウケイホープの事実上唯一の牡駒で、なんとかトウケイサンセイを出して欲しいものだが、流石にかなわないか。この馬と、唯一ライバルたり得たモリユウプリンスの去った後、岩手競馬はゆるやかに下降線を描き始める。
ナイキジャガー(父ジェイドロバリー,1993) 用途変更
南関東の活躍馬。故障でわずか9戦しかできず、旧羽田盃を勝ったのが目立つ程度だが、長期休養明けでコンサートボーイとそこそこの勝負をしていたりするのでそれなりの素質はあったのだろう。ただ、この程度の実績と地味な血統では種牡馬として成功する見込みは薄い。奇しくも父ジェイドロバリーが世を去った年に種牡馬引退となった。残された産駒はどこまでやれるか。
ナグルスキー(父 Nijinsky,1981) 用途変更
おとうさん………。(←お約束)*1
さておき、長年にわたってダートの活躍馬を送り出し続けた名脇役。距離にも結構融通性がある一方でどんな距離でも詰めが甘いようなところもあった。代表産駒二頭を事故で失ったのは気の毒な限り。ホクトベガの強さはほんとうに尋常じゃなかった。現役産駒ではサンエムキングブラウンシャトレーが頑張っている。今後は牝馬を通してやはり地味に血を残していくのだろう。年齢的には仕事は終わったというところ。お疲れさまでした。
ニホンピロウイナー(父スティールハート,1980) 用途変更
短距離路線黎明期の名マイラー。マイル以下では殆ど負けていない。種牡馬としても活躍馬を多く輩出した。産駒は短距離馬にありがちな非力なところがなくて、個人的にはなんかつい金を突っ込みたくなる仔が多かったように思う。ヤマニンゼファーメガスターダムのように、距離で自身が突き当たった壁を越える産駒を出したのも印象的。父系がつなげるかどうかは微妙だが、なんとかなって欲しいとは思う。引退して気が抜けたのか、今年に入ってから死亡。安らかに眠って欲しい。
ニューシティボーイ(父ダイナコスモス,1992) 用途変更
恥ずかしながら知らなかった。中央で4勝、準オープンまで行っている。しかしどうして種牡馬になったのかさっぱりわからない。そりゃあダイナコスモスは悪い種牡馬じゃなかったけど。産駒は案の定殆ど居ない。荒尾で「ちびすけ」と呼ばれたニューシティピースが居るが、もう引退してしまったようだし。こういう種牡馬も居るから面白い。
ネーハイシーザー(父サクラトウコウ,1990) 用途変更
1800m の王者。変則開催で京都で行われた中日スポーツ賞4歳ステークス、確かあまり天気が好くなかったと記憶しているのだけど、出ていることも意識していなかったこの馬がハイペースで逃げ切って凄い時計を叩きだしていた。それと、言わずと知れた毎日王冠の大レコード。天皇賞・秋も楽勝だったけど、ベストパフォーマンスは前二者のいずれかだと思っている。種付料無料という屈辱にも甘んじて供用されてきたがここまで。極く少ない産駒からヒマラヤンブルーを出したのは天皇賞馬の意地か。それにしてもまだ15歳、供用期間は8シーズン。はやすぎる。あんまり、はやすぎる。
ノーザンテーストCAN(父 Northern Dancer,1971) 死亡
大往生。ここ何年かは種付けしていなかった筈だが、種牡馬登録が残っていたのはこの馬に対する尊敬の念のあらわれだろうか。11年連続首位種牡馬であると共に、現在に至るまで14年連続首位母父でもある大種牡馬。なのだが、個人的には競馬を見始めた頃にちょうど支配は終焉を迎え、それと同時に産駒に底力の欠如が顕著になってきていた。活力が衰えた種牡馬の辿る道を身をもって教えてくれた馬だった。サンデーサイレンスが先に死んだのは皮肉としか言いようがない。父系を残すことはできるだろうか。
ファルブラヴIRE(父 Fairy King,1998) 輸出(オーストラリア)
んー、この馬入ってるのまずいかなあ。輸出された種牡馬は全てこの表に入っているわけではなくて、例えばシャトルで半年出るだけの種牡馬は入れていないのだけど、この馬はシャトルの後にイギリスへ行くので一応入っている。ただリースなのでいずれ戻ってくる予定になっていて、ちょっとこの企画にはそぐわないかも知れない。中距離路線で勝ちまくった名馬だが、最後の方面白いほど勝負勝負勝…と続いているのが笑える。通算成績も26戦13勝。ジャパンカップも強かったし、成功する確率は五割よりは高そうかな?
フォティテンUSA(父 Nureyev,1984) 用途変更
アラシとかゴールドマウンテンとか、地味ながらタフによく稼ぐ馬を出すのが本領の種牡馬だったが、ワンダーパヒュームを出して度肝を抜かれた。ワンダーパヒュームは 1600m とはいえダンスパートナーを下し、優駿牝馬でも3着に食い下がったのだから強い馬だったが、一発屋の評価のまま死んでいったのは気の毒。種牡馬としてもそこをピークに緩やかに下降、とうとうお役御免。ヌレイエフ系は根本的には日本にはあんまり向かないのかな、という印象はあるが、この馬もその評価の範囲内か。
フジノフウウン(父ラインゴールド,1981) 用途変更
リザードのお父さん。て言っても最近競馬見始めた人にはわからないかも。凱旋門賞馬ラインゴールドの日本で唯一の後継種牡馬東京優駿シンボリルドルフの3着に喰い込んだ、そのたったひとつの銅メダルを持って種牡馬入り。初年度からオープン馬ブリザードを送り出すと、細々とながら大事にされ、結局18年間の長きにわたって供用された。同世代の“皇帝”シンボリルドルフが事実上種牡馬引退するのと前後して用途変更。競走馬としても、種牡馬としても、同じ土俵に立つのが精一杯だったけど、それでもなんらかの印象を、あるいは自分の血を残すことができた。まずまず幸せな生涯だったと言えるだろう。今年に入ってから老衰のために死亡している。安らかに眠っていることだろう。
ブラッシングジョンUSA(父 Blushing Groom,1985) 用途変更
んー、あまり印象がない。日本での供用期間は6年で、輸入前の産駒アイズオブユーが未だに賞金頭。海外での種牡馬実績には遠く及ばない成績しか残せなかった。そろそろ高齢でもあるし、仕方ないところか。

明日に続く。最終回の予定ですが、全5回になる可能性もあります。

*1:なんのことだかわからない人は昨年版 (3) の「ナリタハヤブサ」の項を参照。