黄昏通信社跡地処分推進室

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ひさびさ

新任講師マハル・ロミタス・アリシーバは毎回ほぼ時間通りに講義を終わらせる。
話は本筋からそれることも多いものの、ずれ過ぎないうちになんとかして戻って来る。一日に進める範囲はあらかじめ決めているようだったが、それも雑談に時間を取られる分を予め考慮している。その冷静さの一方で、終わります、と言った瞬間に丁度終了の鐘が鳴った時には小さく右手を握り締めてみせるような稚気も併せ持っていた。
ところが今日は珍しく本筋に沿ったまま講義が進み、区切りのいいところまで話し終えた時点で、まだ鐘が鳴るまで10分以上残されていた。アリシーバは少し困ったような表情を見せたが、すぐに気を取り直したように笑みを浮かべてこう言った。
「たまにはトーナメントで役に立つ話をしましょう」
「え、じゃあ普段の話は役に立たないんですか」
レオンがすかさず応じたが、アリシーバは表情を崩さない。「必ずしも役に立つとは限りません。無駄なことは話していない心算ですが」
「そうかなあ……」
意外なほどまっとうな答が返ってきて、レオンは気勢を殺がれたようだった。
その隙を突くように、アリシーバは低い声で続ける。
「みなさんは、自分の CPI を把握していますか?」
生徒の反応は鈍かった。数人肯いている者も居たが、大半は首を傾げている。と、いきなりユリが突き上げるように手を挙げ、大きな声で訊いた。
「しーぴーあいって何ですか?」 
「コンパラブル・パフォーマンス・インデックスの略ですね」
アリシーバは応じると、ホワイトボードに「Comparable Performance Index」と書いた。
「さっぱりわからないです」 ユリがきっぱりと言う。
「ええと、今から説明します。……ひょっとして、みなさん御存知ではないですか。知ってる方は手を挙げてみてください」
先ほど肯いていた者も含め、数えるほどしか手が上がらない。
「もう少し知っててもよさそうなもんですけどね……まあここの先生がたじゃ仕方ないか……」
アリシーバはぶつぶつと小声で言ってから、説明を始めた。
クイズの実力を測るのに一番手っ取り早い数値は正解率だ。これが全ての基準となる。それに、回答速度や偏心率、初見正解率、定着度などで修整を加える。例えば回答速度は速ければプラス、偏心率は低い方がプラスになる。修整後の数値が修整後正解率で、一般に「MCP」或いは単に「CP」と言われる。
それとは別に、トーナメントで残した成績が「発揮された実力」として評価される。具体的にはトーナメントでの順位、参加人数、参加者のレーティングの平均値、などによって計算される。これは「TPP」或いは「TP」と呼ばれる。
「言ってみれば CP は『能力』で、TP は『実績』を表す数字になっているわけですね。」
アリシーバはホワイトボードに適宜書き入れながら話を続ける。
「さて、このふたつはある程度以上比例しますが、逆に言うと完全には比例しません。CP の割に TP が高い人も居ますし、逆の人も居ます。能力の割に実績が高いのは本番や大勝負に強いということ、逆の人はプレッシャーに弱いということになるかも知れません。それがどの程度なのかを示す数値が、最初に言った CPI です。
CPI は、ある人の TP が平均的にはどの程度の CP に相当するのかを計算して、それをその人の実際の CP と比べることによって求められます。プラスなら TP の方が上回っていることになりますから、能力より実績が高いことになります。とここまで説明してもわかってもらえてる気がしないので、ちょっと具体的な数字を出してみます」
アリシーバは教室をぐるりと見渡した。
「えーと、人選に他意はありませんが、そうですね、カイルさん、マラリヤさん、セリオスさん、」
言いながらアリシーバはその3人の名前をホワイトボードに書きつける。
「この3人は CP が 77 ポイントあるとしましょう。大体正解率が 77% ってことですね。この教室の中で CP が 77 ポイントなのはこの3人だけで、3人の TP の平均が 10 ポイントだとします。まあ3人とも 10 ポイントってことにしておきましょうか。それで、あくまで人選に他意はないのですが、」
アリシーバはそう言いながらホワイトボードに「レオン: 75」と書いた。生徒の間から笑いが洩れる。
「レオンさんは CP が若干低い 75 ポイントだとします。でも、TP はやはり 10 ポイントあります。すると、レオンさんの実績は CP77 に相当することになります。これから実際の CP75 を引くと、+2 になります。この場合、レオンさんの CPI は +2.0 になるわけです。」
さらにアリシーバはホワイトボードに「ロミタス: 79」と書く。
「私はみなさんより長く生きてる分多少 CP が高くて 79 ポイントあるとしましょう。しかしトーナメントフィールドはどうも苦手で TP は 10 ポイントしか持ってません。そうすると、この教室ではやっぱり 77 ポイント相当ってことになってしまいますね。つまり私の CPI は -2.0 ということです。」
生徒の反応は最初ほどではないがやはり鈍く、全員が理解したという様子ではなかった。肯いている者も居れば首を傾げている者も居る。
「先生」
またしてもユリが手を挙げた。
「はい」「どうして TP を直接比べないでこんな数字を出すんですか?」
「いい質問ですね」
アリシーバはホワイトボードを指しながら、「ここでは 10 ポイントなんかにしましたが、実際には TP はもっと大きな数字になりますし、何ポイントあればどれぐらい強いのかというのがわかりにくい数字です。感覚的には CP 、つまり正解率の方が馴染みもありますしわかりやすいですから、こちらを使っています」
と、そこで講義終了の鐘が鳴り始めた。
アリシーバは苦笑いを浮かべ、最後は早足に締めくくった。
「追加の話をしたら時間が半端になってしまいました。CPI は調べられる筈なんで、試しにご自分の数字を見てみてください。みなさんはキャリアが浅いですから、それほどあてになる数字ではありませんけど。そして、その数字にどういう意味があるのか、ちょっと考えてみてください」
四限が終わった。教師の言葉が終わらぬうちから立ち上がって出口へ向かう者もあり、早速鞄から弁当を出して食べ始める者もあり、仲の好い同級生と連れ立って食堂へ向かう者もあり。教室は解放感に満ちた喧騒に包まれ、浮き足立った空気で流れ込むように満たされてゆく。
クララは自分の席に座ったまま、周りの空気が落ち着くのを少しの間じっと待った。
昼休みに入ってすぐの動きには結構性格が出るな、とぼんやり考える。結局どういう時間が一番勿体無いと感じるかなんだと思う。クララはこの時間が嫌いではない。何もしていない時間ではあるけど、何もしていないというだけの理由で無為の時間を嫌うようなことはしたくない。
人の流れが落ち着いたところで、弁当を巾着から取り出して机に乗せる。
「クララ!」
まだ幼さの残る声が背後からした。振り向くまでもなく、声の主であり得る生徒はひとりしかいない。案の定、正面に回り込んで来たのはクラスで最年少の少女アロエだった。決して大きくはない弁当箱を、両手で支えるように持っている。
「お昼、一緒に食べよう?」
「いいよ」 クララは応える。
「じゃあ、机くっつけるね」 アロエは弁当箱をクララの机に置くと、前の生徒の席を前後反転させてクララの机と向かい合わせにしようとした。慌ててクララは立ち上がり手を貸す。
少し高すぎる椅子に座ると、アロエはいそいそと弁当箱を開けた。雑多なおかずが所狭しと詰め込まれていて、良く言えば彩り豊か、悪く言えば混沌としている。
「それ、寮のお弁当?」 クララは訊いてみた。
「うん。おいしいんだよ、すごく。」 言ってからアロエはちょっと小首を傾げ、「ときどきおかずが寂しい時もあることはあるけど」
各寮には食堂があるが、寮生は必ずしも毎食そこで食べなくてもいいことになっている。そのために余った料理や半端になった食材をもとに、食堂で作られているのが通称「寮弁当」。安くて量の融通が利くが当たり外れが激しいため、好む生徒は若干限られていた。
「クララは自分でお弁当作るの?」
「ううん、あんまり作らないんだけど。今日はたまたま」
「でも、作るんだね。すごいなあ」
「すごくないよ、そんな」
一瞬目の合ったアロエの瞳に純粋な尊敬の色が宿っていて、クララは思わず視線を逸らしてしまう。弁当と言っても大したものを作るわけではない。アロエがその気になればこの程度の料理の技術はすぐに身につけてしまうだろう。
少しの間、ふたりは黙って箸を動かした。
「クララ、さっきの数字いくつだった? しーぴーあいっていうんだっけ」
「うん、CPI で合ってるよ。プラス 0.7 ぐらいだったかな」
「うわあ、すごいなあ」 またしてもアロエの声に畏敬の響きがこもる。「すごいなあ……」
アロエはいくつだった?」
できるだけさりげなくなるように、と思いながらクララは訊いた。でもたぶん、こう思ってる時点で駄目なんだ。
「マイナス 1.1 だったの」
アロエは本当にしょんぼりと答えた。「あたしより悪い人クラスに誰も居ないよ。なにがいけないのかなあ……。」
「でも、ロミタス先生も言ってたけど、まだキャリアが浅いから数字はあんまりあてにならないよ」
「そうかも知れないけど……」 
言いながらもアロエはさらに俯いてしまう。
クララは一旦箸を置いて、背筋を伸ばしまっすぐに座り直した。
「わたしの個人的な意見だけど」
前置きすると、アロエはわずかに顔を上向けた。クララは続ける。
アロエはちょっとだけ諦めるのが早過ぎると思う。特に、決勝の前辺りで最初の方の問題を落とした時なんかがよくないと思うんだ。確かに、相手が強い時に1問目から落とすとつらいよね。でも、だったら尚更次からは喰らいついて行かないと、ますます届かなくなっちゃう。逆に、あとの問題をきっちり答えて行けば、どこかで並べた時には大体先に落とした方が勝ってるから。……わかってると思うけどね、こんなことは」
アロエはこくんとうなずいた。
「わたしも、全然決勝に行けなくて辛かったことがあったよ」
クララは丁寧に言葉を続けた。
自分の場合は、焦って飛び込むことが多かった。リードしていると、守らなければと思ってつい早く押してしまう。リードされていればされているで、追いつかなければと思ってますます早く押してしまう。その繰り返しで、予選で文字通り落ち続けていた時期があった。
それを見かねて、ロマノフ先生が矯正方法を教えてくれた。“時計が半分回るまでは、絶対に答を押してはいけない。”どんなに簡単な問題でも、半分までは待つこと。その教えに従ってみると、最初のうちこそ本当にいらいらしたが、案外早いうちに待つことには慣れた。
収穫は様々だった。まずつまらないダイブで落とすことは無くなったし、待っていたおかげで自分だけ取れる問題すら時にはあった。だがそれ以上に、待っているうちに周りの人の回答速度や誰が何問正解しているかといった試合の状況が段々見えるようになっていった。ゆっくり取っても抜けられる時は抜けられる。一方、やはり急がなければ決して抜けられない場合も勿論ある。それがある程度体感できるようになったことが、多分一番大切だったのだと思う。
そんなようなことを、話した。
「………クララ、すごいね、やっぱり」
聞き終わるとアロエはぽつりと言った。だが先ほどよりも随分表情は明るくなっている。
「ううん、これはロマノフ先生のおかげ。アロエも何か試してみるといいかも知れないよ。わたしの方法がアロエに合うかどうかはわからないけど、先生なら色々知ってるだろうし」
「そうだよね」 アロエはついに微かに笑みを見せた。「今までと同じようにやってても、中々変わらないもんね」
「うん」
「……ありがとう、クララ」
アロエはまっすぐにクララの顔を見つめて言った。
「どういたしまして」 クララも年下の少女の茶色の瞳を見ながら応じた。
少しの間向き合っていると流石にいささか照れくさくなり、クララはまた箸を手に取って食事に戻った。ちらりと目を上げると、アロエが慌てたように箸先を弁当箱に運ぶ。
「なにかしこまって話してたの、アロエ
変声期を迎える前の少年の声が少し離れたところから届いた。見ると、空色のアイスキャンディを片手に緑髪の生徒がぶらぶらと歩いてくる。アロエと同じく最年少でこのクラスに属しているラスクだった。
「ないしょ。」 
「え、秘密にするようなことじゃないでしょ?」
「言いたくないんだもん」 アロエはにこにこと笑いながら応える。
クララは静かに口をはさんだ。「わたしがアロエに助けてもらってたんだよ」
「逆でしょ、クララ」「そうだよ、あたしなにもしてないよ」
ふたりが口々に言うのにクララは応じず、黙って箸を動かした。