黄昏通信社跡地処分推進室

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ЛЕГЕНДАРНЫЙ ДРАКОН -- Prologue

むかし、そんなに昔でもないむかし。
まだエンジンが 1000hp を超えられなかったころ。
950hp のエンジンを六基積んだ、天を覆わんばかりの巨大飛行機が空を翔けていた時代があった。
正式名称、KS-6.2 型。
通称“アリョール”。


「子供のころ子守りのばあさんが、『あらしの時は雲の中にいる悪い竜が嫌がらせに暴れてるんだ』って教えてくれてね」
彼女は話し始めた。
「あたしは『そんな竜は大きくなったらやっつけてあげる』って約束したんだ」
他愛ない約束だったが、大きくなってもそれを忘れたことはなかった。子守りのばあさんとは離れてしまい、消息も知れない。それでも彼女は約束を守るために、飛行機乗りになろうと思った。竜と戦うのだから、もちろん戦闘機に乗らなければいけない。所定の年齢に達した時、迷わず空軍に志願した。
「――だけど、空軍の連中、女だからパイロットは駄目だとか言いやがるんだ」
彼女は淡々と言った。
見るからに骨太の身体はたくましく、ぼくが思うところでは少なくとも身体能力において平均的な男性に劣っているとは考えづらい。
……囚人服だって、よく似合っていた。
「諦め切れなくて、整備士として空軍に入ったんだけど、それがいけなかったね。嵐が来るたびに、血が騒いでさ。とうとう何度目かの嵐の日に、勝手に格納庫から飛行機持ち出して、そこでつかまったってわけ。」
彼女はそこまで話してから、不思議そうにぼくを見つめた。
「あんた、こんな話聞いても全然笑わないんだね」
自分では意識していなかったが、よほど神妙な顔をしていたのだろう。
この国の弱っちい空軍だって、軍隊は軍隊だ。どの時点で捕まったのかにもよるだろうが、射殺されなかったのが不思議なほどだ。どれほどきわどい運命だったのか、あるいは代わりにどんな目に遭わされたのか――ちょっと想像するだけで、あまり笑う気にはなれなかった。
だから、ぼくは訊いた。
「ごめん。もしかして、笑う話だったのかな」
「いいや、いたって真面目だよ、本人は。」
彼女は心持ち嬉しそうな笑みを浮かべると、すっと立ち上がった。多分ぼくより上背もあるだろう。空軍は惜しい人材を自ら失った。
「じゃあ、……またね。ここ出て閑だったら、遊びに来てよ」
「……閑だったら、ね」
ぼくは最後に彼女と握手を交わした。大きくて、温かくて、力強い手だった。彼女は踵を返すと、二度と振り向かずに去って行った。
その日はよく晴れていたのに、全く気温が上がらなかった。ぼくが刑務所で過ごした日々の中で、いちばん寒い日だった。


あの日彼女が残した何気ない一言が、ぼくの運命の歯車を大きく回し始める。雷の鳴り響く乱雲の中で身体をのたうたせる巨大な竜のイメージが、頭の中から離れない。降りしきる雨をついて発進する戦闘機と、それを追って発砲する兵士たち。その複座の操縦席には、彼女とともにどういうわけかぼくが収まっているのだ。
回り始めた歯車に気付かないまま、ぼくは出所の日を迎える。走り書きの連絡先を握りしめて。


――これは、“アリョール”にまつわる物語。
正式名称、KS-6.2 型。
950hp のエンジンを六基積んだ、天を覆わんばかりの巨大飛行機。
当時まだ、エンジンは 1000hp を超えることができなかった。
昔、そんなにむかしでもない昔の話である。