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ハンティングホークについて

ホットシークレットが死んだというニュース(お馬はかわいいV -- 2006-02-08:ホットシークレットの訃報)を見た。ハンティングホークは日本では殆ど活躍馬を出せず、唯一の例外がセン馬のこの馬だった。なのにこんなに早く死んでしまうなんて、運命って中々残酷だ。ハンティングホーク自身は輸出されてるのが救いだけど、さて今頃どうしているのやら。
おれは3D対戦格闘ゲームでは『鉄拳3』だけちょっとだけかじったことがあるんだけど、使ってたファランというキャラクターに「ハンティングホーク」という技があった。9LKRKLKの三段技で、基本的には空中コンボにしか使わない技だったと記憶しているのだが、これがやたらとかっこよかった。(特に三段目で叩きつけるところさいこう)
そんな時に、ハンティングホークの産駒がデビューした。おお、かっこいい名前じゃん。ステイヤー血統っぽいし応援してみようかな。と思ったまではいいけど、これがびっくりするほど走らない。ホットシークレットこそ早い時期から素質を見せたけど、あとはさっぱり。
日本での同期の種牡馬には他にもサドラーズウェルズの直仔が居て、それがオペラハウスとオールドヴィック。2年で帰ったオールドヴィックはともかく(まあ全然駄目だったんだけど)、オペラハウスの成功を考えるとハンティングホークの成績は寂しい限りだった。あっさり見限られて帰って行ったのは、おそらくかえって幸運だっただろう。
忘れられないのは、生まれて初めての万馬券をハンティングホークの仔絡みで取ったこと。競馬を始めて10年目に初めて万馬券ってちょっと考えられないほど遅いし、それが秋の福島の最終レース4歳未勝利だってのは殆ど病的だけど、ともあれコートドゥルション(父ルション)からスパインスピリット(父ハンティングホーク)とキンショータイシン(父ナリタタイシン:1番人気!)へたった2点買っただけで取った。今思うと何を考えて買っていたのか全くわからない。
結局、日本の競馬に形となるものは殆ど残せなかった。それでも、個性的な産駒を(たった一頭だけど)ターフに送ったし、初めての万馬券を取らせてくれたし、名前がかっこいいし、個人的にはちょっと印象に残ってる種牡馬だった。こういう馬のことを忘れないようにしたい、と思うけどまあ多分忘れるので、これを機に書いておく。