黄昏通信社跡地処分推進室

黄昏通信社の跡地処分を推進しています

メジロマックイーン死す

おれが競馬を始めたと言えるのは 1991 年の秋の天皇賞だった。メジロマックイーンが圧倒的なパフォーマンスを見せて、降着になったレースだ。天邪鬼のおれは当時あんまりメジロマックイーンが好きじゃなかった。出てくるレースでは、大抵「どの馬がメジロマックイーンを負かせるか」を考えてばかりいたように思う。
だけど、色々知っていくにつれて、メジロマックイーンは凄い馬なんだってのはだんだんわかってきた。父子三代で天皇賞を制覇することの如何に困難なことか。ステイヤーがチャンピオンであることの如何に稀有なことか。
結果的に最後のレースとなった京都大賞典は驚異的なレースだった。メジロパーマーがハイペースで逃げ、三角でばてたところでロンシャンボーイが先頭に立ち、それをオースミロッチが交わし、さらにレガシーワールドが外から抜けかける。メジロマックイーンは、その全部を外からまくっていって四角で堂々と先頭に立ったのだ。2分22秒7。速過ぎる時計、強過ぎる内容。6歳にして充実著しく、故障のためにその秋のパフォーマンスが見られなかったことは今となっては残念でならない。
繁殖馬としては成功したとは言えない。初年度にエイダイクインを出したが、その後はオープン馬も殆ど出せなかった。四代目の天皇賞馬が出せる可能性は非常に低くなったと言わざるを得ない。後継種牡馬を残すことすら難しいだろう。残念だが仕方のないことだ。牝馬を通して血は継承される。もし直仔に果たせなかったとしても、どこかでその血を引く馬が盾を目指すに違いない。
希代のステイヤーの冥福を祈る。