黄昏通信社跡地処分推進室

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名前を残した馬たちへ2006 (3)

いろいろな意味でいっぱいいっぱい。
第1回→名前を残した馬たちへ2006 (1)
第2回→名前を残した馬たちへ2006 (2)

ゴーナウ(父トニービン/母フェアリードール,1997) 用途変更
ううむ知らん。トゥザヴィクトリーのいっこ下の半弟で、中央ではデビューが遅れて3戦未勝利。道営に転出した休養明けからは実力より下のクラスに組まれたこともあってか連勝を重ねた。重賞初挑戦の道営記念で大敗したのを最後に引退。それなりの能力はあった可能性は秘めるがなんとも言えない。どうも 2005 年度が初供用で、それなりに種付けもしていたようなのだが突然の廃用。なにかあったのだろうか。
ゴールデンステート(父マナード/母コーホール,1984) 死亡
知らない……ってマナードの直仔なら仕方ないか。競走成績すら判然としないが、岩手県で細々と供用されていたようだ。netkeiba のデータベースによるとなんと 2003 年まで産駒が居るらしい。老衰には早いだろうが、よくぞここまで繋養したものだと思う。こういう馬も毎年誰かしら居るんだよねえ。
ゴールドプルーフ(父ゴールドレット/母サンウーマン,1995) 用途変更
東海公営の強豪。2歳でデビューし、9歳まで息が長い活躍を見せた。白眉は8歳時に参戦した東海ステークス(G2)で、1位入線したディーエスサンダーと頭差の接戦を演じた上、ディーエスサンダー降着で優勝した。その勲章を胸に鹿児島のホースランドあいら種牡馬入り。ゴールドレットの後継として期待されたが、供用1年で廃用となっている。おそらく何らかの事情があったのだろう。残念ではあるけど、このまま繋養され続けるだろうことは救い。
ゴールドレット(父ボールドアンドエイブル/母ミナレット,1979) 用途変更
というわけで、上の馬の父。こちらの方が先に供用停止されている。東海公営で 23 戦 20 勝2着3回と、ほぼ完璧な成績を残した伝説の馬。東海の大レースは総なめにしているようだ。東海から一歩も外に出なかったため、中央や他地区の馬との対戦はないが、当時の東海のレベルを考えれば弱かった筈はない。種牡馬になってからも息長く供用され、ゴールセイフやゴールドプルーフなど公営の活躍馬を出した。年齢も年齢なので供用停止はまあ。最後の執念がこういう形で実らずに終わるのはなんとも切ないが、これも競馬。
サフロンウォルデンFR(父 Sadler's Wells/母 Or Vision,1996) 輸出:アイルランド
あー、最近競馬ブックの新種牡馬コーナーで見たばっかりだよなあ、というのはわかったが調べてみたらもう2年前だったし書いてあったことといえば「改名してツキが落ちたっぽい」とかそんなことしか憶えてない。使えぬ(おれが)。アイルランドの 2000 ギニーを勝っているが、ギニーを勝ってもサドラーズウェルズサドラーズウェルズということか、産駒は殆ど走っていない印象。声がかかったのは幸いだった。まあ直接産駒が走らなくても何代かして血が活きてくることもあるわけで、この滞在にしてもまるで意義がなかったということでもないだろう。それでも十年後とかに「母母父のサフロンウォルデンがいい仕事してるよねえ」とか言ってる場面ってのも想像しがたくはあるんだけど。
サンキリコUSA(父リィフォー/母 Nell's Briquette,1985) 死亡
リィフォーは素晴らしい種牡馬で、最初アイルランドで供用されてトロメオを出し、日本で5年間供用されてニッポーテイオーなどを出し、アメリカ合州国で供用されてサンキリコを出した。全部日本に来て根こそぎになってしまったわけだが。その3頭とも種牡馬としては非力さが目立ち、平坦向きの産駒が多かった印象。底力もよく伝わらず、とうとう大物は出せなかった。おれなんてサンキリコで一番印象に残ってる仔がキオイスマートだもんなあ。近年は九州で供用されていたらしい。アメリカで供用されていればあるいは違っていたかも知れないが、それは言っても仕方ないか。この歳まで生きられたのなら悪くはあるまい。
サンゼウス(父トウショウボーイ/母リキサンサン,1991) 用途変更
まだ種牡馬やってたのか3億5千万の兄さん((C)よしだみほ)。当時の市場最高値で取引されたことで話題になった馬。主な勝ち鞍:新馬、4歳上 500 万下。今でこそ4億5億なんて数字も出るけど、当時は1億円を超えたら結構騒ぎになってたと思う。まして3億となると想像を絶する金額で、実際長年この価格の記録は破られなかった筈。とはいうものの、明和牧場が生産してホースマンが買ってるわけで、自演みたいなもんではある。サンサン系につきまとう体質の弱さがあったようで、順調に使えなかったしそれをはねかえすタフさもなかった。さんざんねたにされはしたけれど、ここまで大事にされたのなら幸せだろう。あとはゆっくり休んで欲しい。
サンプレイス(父サンデーサイレンス/母サンシャインステラ,1995) 死亡
セイウンスカイスペシャルウィークと同期の脇役キャラ。といっても三冠は菊花賞しか出ていない(14 着)。以後は休み休みながら中距離戦線で入着を重ね、最後に新潟記念を勝ってなんとか種牡馬入り。モデルスポートの直系でかなり良血ではあるのだけど。千葉で供用され、初年度からリメインオブザサンを出したが、10 歳の若さで疝痛で死亡。なんともやるせない。残照はいつまで見ることができるだろうか。