黄昏通信社跡地処分推進室

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名前を残した馬たちへ2006 (5)

ようやく折り返し。先は長い……。2006-08-09ビワシンセイキビワタケヒデ追記しました。
第1回→名前を残した馬たちへ2006 (1)
第2回→名前を残した馬たちへ2006 (2)
第3回→名前を残した馬たちへ2006 (3)
第4回→名前を残した馬たちへ2006 (4)

トーヨーリファール(父 Relaunch/母サンダードーム,1990) 転売不明
ちょうどおれが競馬を観始めた頃にデビューして、渋くしぶとく活躍した名脇役。突然ダートに出て強い勝ち方をしたり、全く人気のないGIで掲示板に載ったりと戦績以上に印象に残る馬だったように思う。結局大レースには手が届かなかったものの種牡馬入り。一時期はかなり交配相手を集めたようだが、残念ながら活躍馬は出せなかった。日本では貴重なマッチェム父系だし頑張って欲しかったんだけどなあ。とはいえチャンスは与えられた方ではある。しかし転売不明は切ない。どこかで元気でいるといいが、それも望みがたい。せめて忘れないで居たい。
追記(2006-08-11):トラックバック元でコメントをされた方がいらしたので、それに関して 11 日の項で言及した。
ナトルーン(父 Akarad/母 Niece Divine,1984) 死亡
この馬が輸入されたとき、山野浩一先生が『血統事典』で「アガ・カーン殿下の秘蔵血統」と書いていたのを憶えているのだけど、では何故その馬が供用1年で出されたのか、についてはついぞわからなかった。日本では JBBA が供用、活躍馬は殆ど出せなかったがどうしてか毎年細々と産駒は見かけた気がする。代表産駒はトラストカンカン。朝日杯3歳ステークスで3着に入った時「来年のクラシックでも好勝負だ」と思ったりしたのも懐かしい。結果は調べないでやってください(ヒント:牡馬クラシックは全部同じ馬が勝ちました)。それにしても、トラストカンカンのやんちゃぶりは凄かったな。坂路のラチに頭をぶつけて出走回避とかなかなかできんよなあ。ナトルーン自身は 2001 年に種牡馬は引退していた。死因は疝痛。JBBA とはいえよくここまで面倒を見てもらえたものだと思う。どうか安らかに眠って欲しい。
ナリタトップロード(父サッカーボーイ/母フローラルマジック,1996) 死亡
死んだ時に珍しく色々書いたので、改めて書くことはあまりない。残された産駒が少しでも長く走って、少しでもいい成績を残してくれることを願っている。インパーフェクトは頑張っているが、ちょっと無理使い過ぎる印象もあるかな。テレンコの父系なのであるいは産駒はマイラーに出るかも、なんてことは思っているが、どんな距離でも走ってくれれば嬉しいね、多分。
バンブーパッション(父バンブーアトラス/母ファナバンブー,1988) 用途変更
この馬はおれが競馬を見始めた時には(結果的に)キャリアを終えようとしていた。京王杯スプリングカップダイナマイトダディの2着に入り、安田記念ではちょっと穴人気になりながらヤマニンゼファーの 14 着、そして現役最後のレースとなった阪急杯ではホクセイシプレーに負けている。バンブーアトラス産駒らしく短期間で急上昇しており、故障に泣かされながら残した成績は中々立派。シザラの 3×3 も買われてか?種牡馬入り。ほとんど産駒は居なかったが、バンブードミンゲスが中央で4勝をあげて気を吐いた。
バンブービギン(父バンブーアトラス/母フォローバンブー,1986) 用途変更
オンタイムで見ていたわけではないからわからないが、バンブーアトラスの、ひょっとすると最強の産駒。初勝利をあげるまで7戦を要しているのに、なんとその5戦後に菊花賞を勝っている。信じられないほどの充実力と底力で、改めてバンブーアトラスは素晴らしい種牡馬だったのだなと思う。そこで故障してそのままターフに戻れなかった辺りもバンブーアトラスっぽいかな(ほっとけ)。種牡馬としては成功せず。
バンブーメモリー(父モーニングフローリック/母マドンナバンブー,1985) 用途変更
安田記念スプリンターズステークスを勝っている名短距離馬だが、オグリキャップに差し切られたマイルチャンピオンシップがおそらく一番有名、というちょっと気の毒な馬。長く一線級で活躍し、厳しい日程でも入着を重ねたタフな馬だったようだ。残念ながら種牡馬としては殆ど鳴かず飛ばずで、これといった産駒を出せていない。供用停止は仕方ないところか。
ビワシンセイキ(父フォーティナイナー/母オシアナ,1998) 輸出:韓国
つい最近まで現役だったような気がする。ていうか単なる事実か。ダートの短距離から中距離まで幅広く、常に大崩れしない走りを見せた。初年度は 24 頭に種付けしたそうで、数字としては悪くない。産駒が走るのも見ずに新天地に旅立つことになるが、まだ若いのだしチャンスと捉える方向で。韓国に行った種牡馬って無事かどうかもわからなくなりがちだし、活躍馬を出してるかどうかもわからないし、いつの間にか死んでいたりもするけれど、多分昔の日本って外国から見ればまるっきりこんなだったんだろうなあ、というのは思う(そして今でも少なからず似たようなところはあるのだろう)。数多の輸入種牡馬あってこそ今の日本競馬はある。なれば、韓国に旅立つ種牡馬たちは気持ちよく送り出してやりたいものだ。その上で活躍と無事を祈ればいい。
ビワタケヒデ(父ブライアンズタイム/母パシフィカス,1995) 用途変更
ナリタブライアンの全弟。大きな期待を受けてデビューしたが、活躍が追いつくまでには随分時間がかかった。それでもラジオたんぱ賞で待望の重賞勝ち、続く小倉記念でも古馬相手に3着に食い込み、素質の片鱗は見せた。その後故障でそのまま引退、早世したナリタブライアンの後を受ける形で種牡馬入り。流石に期待は大きかったようで、毎年 30 頭弱の牝馬と交配されていたが、あまり活躍馬は出せなかった。あとは母父でどこまでやれるか。