黄昏通信社跡地処分推進室

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名前を残した馬たちへ2006 (6)

頭数間違えてた。アングロアラブも数えてしまっていた。
第1回→名前を残した馬たちへ2006 (1)
第2回→名前を残した馬たちへ2006 (2)
第3回→名前を残した馬たちへ2006 (3)
第4回→名前を残した馬たちへ2006 (4)
第5回→名前を残した馬たちへ2006 (5)

クリミナルタイプ(父 Alydar/母 Klepto,1985) 死亡
忘れてた。しかも気付くのが遅い。ついでに言うと、どういうわけかおれはこの馬が米国に戻ったと思っていた。誰と勘違いしたんだろう。同時期に輸入されて同じ父を持つカコイーシーズとなんとなく比較することが多かったんだけど、こっちの方が不器用でダート適性がなくて底力を伝えなかった。要するに負けていた。現役時代にはサンデーサイレンスとイージーゴーアーをまとめて負かしている強い馬だったが、種牡馬としては活躍できず。胃破裂で死亡したそうだ。
ビワハヤヒデ(父シャルード/母パシフィカス,1990) 用途変更
デビューから 15 戦連続連対という、近年には稀な安定性を発揮したチャンピオン。16 戦目の天皇賞(秋)で5着に敗れ、レース後屈腱炎が発覚してそのまま引退となった。今思えば故障がなくても負け頃のレースだったと思うが、当時は逆張りする勇気はなかったなあ。完全なステイヤーで、路盤改修直後の時計がかかる阪神では無類の強さを発揮した。産駒も基本的にステイヤーで、代表産駒のサンエムエックスも長距離の淀みのないレースで強かった。こういう種牡馬に需要がないのは仕方ないが、それにしても実績を考えるとこの状況は寂しい。結局父シャルードを超えることはできなさそうだ。牝馬を通して子孫に底力を伝えて欲しい。
フィールドアスカUSA(父フォーティナイナー/母デモンリー,1994) 輸出:韓国
韓国に輸出される種牡馬たちの多くは同じ牧場に行くようで、今年はフォーティナイナー系が意識的に選ばれているのだとか。この馬は現役時代は中央4勝どまりだったが、血統が買われたのか種牡馬入り、そしてさらに韓国へ。少なくとも、実績よりはるかに上のチャンスは与えられている。健闘を祈る。
フレイズUSA(父 Strawberry Road/母 Zalataia,1988) 輸出:アメリカ合州国
現役時の BC ターフではかなり強い相手を負かしており、Nijinsky 系に母父ディクタス、と日本でも通用しそうな要素はあったのだが、端的に言えば全く成功しなかった。全く(2回言うな)。2002 年に種牡馬引退、その後は乗馬となって余生を送っていたが、現役時代のオーナーが「いつでも引き取る用意がある」と宣言したことがきっかけで、オジジアンと共に故郷に戻っていった。運がよかった……のだけど、なんと帰国直後に腹部の血管破裂で死んでしまったそうだ。気の毒なことだ。代表産駒はゴーウィズウィンド。その馬名すらなんだか寂しく思える。
プレミアムサンダーUSA(父 Easy Goer/母 Seattle Dawn,1994) 用途変更
近くて遠いイージーゴーアー。サンデーサイレンスのライバルとして語られることは多いけれど、とても人気があった馬だというのがどうしても感覚的にわからない。種牡馬としてはたった1シーズン供用されて死亡したため、産駒はごく限られた頭数しか居ない。この馬はそのうちの1頭。実働2年、しかも休み休みでわずか8戦しかしておらず、そのうち連対を外したことは1回しかない。底を見せないまま引退したが、流石に活躍馬を送り出せるところまでは至らなかった。少しでも父の血を残せるといいけど、難しいかな。
ヘイアンエルドラドUSA(父フレンチデピュティ/母 Canadian Halo,1998) 死亡
フレンチデピュティ輸入前の産駒。クロフネと同期らしいが現役時代はよく憶えていない。中央で条件戦を5勝している。青森で繋養されて、少ないながらも産駒はちょこちょこ出していたようだが、そのデビューを見る前にこの世を去った。せめてもう少し長く生きていれば。
ホスピタリテイ(父テュデナム/母トウコウポポ,1979) 用途変更
地方の怪物、というと少しニュアンスがずれるかも知れないが、伝説的な名馬。3歳秋に中央入りして皐月賞アズマハンターを子供扱いするのだが、クラシック登録がなかったためその後菊花賞を目指せず、当時は秋の天皇賞に3歳馬が出られなかったので、仕方なくジャパンカップへ向かった。国際招待オープン(オープン特別時代の富士ステークスに相当するレース)に出走し、そこで生涯唯一の敗戦を喫した。その後は1戦しかできなかったことを考えると、なにか適当なレースがその時期にあれば、というのは思う。種牡馬としては自身が勝てなかったクラシックを産駒のドクタースパートで制したほか、長きに渡って地方を中心に活躍馬を出し続けた。父系はつなげなかったけど、まずは悔いのない半生だったろう。おそらくもう種牡馬は引退していることと思うが(26 歳って!)、あとはゆっくり過ごして欲しい。余談だけど、競馬見始めた頃に雑誌か競馬四季報かで見たこの馬の種牡馬広告で、エンブレムみたいな楯の中に「1979 dark bay / out of Toko Popo by Tudenham」とかなんとか書かれていたのがかっこよかったのを憶えている。憶えてる人居ませんか。居ないよな。