黄昏通信社跡地処分推進室

黄昏通信社の跡地処分を推進しています

名前を残した馬たちへ2007 (1)

今年も日本軽種馬登録協会から 2006 年に供用を停止した種牡馬が発表された。このうちサラブレッド 48 頭について、今日から何回かに分けて思い出というかコメントというかを書きつけておこうと思う。書き始めてみて昨年までのように一気には書けそうにないことがわかったので、今年はゆっくりやることになると思う。きりがいいので、8頭ずつ6回になるのではないだろうか。
昨年までのものを貼っておく。
「名前を残した馬たちへ」(4)
 3年前のもの。この日から他の3日分にリンクがあり。
名前を残した馬たちへ2005 (4)
 一昨年のもの。同じくこの日から他の3日分にリンクがある。
名前を残した馬たちへ2006 (8)
 これが去年。この日から他の7日分にリンクがある。
では、始めようか。

アサクサカントリー(父ノーザンテースト/母ボニーレッドラス,1983) 用途変更
いきなり全く知らない。中央のローカル芝ばかりで4勝、その後公営に転じて数年キャリアを重ねてから種牡馬入りしたようだ。ノーザンテーストとはいえよく種牡馬入りできたしこれほど長く供用されていたのは驚異的ですらある。青森で供用され、自家生産の産駒がわりと最近までぽつぽつ居たようだ。恵まれた半生だったと言えるだろう。
アルカングUSA(父 Sagace/母 Albertine,1988) 用途変更
欧州調教馬初の BC クラシック勝ち馬、だったと思う。単勝馬券が 100 倍以上つける大波乱になったのをぼんやりと憶えている。イスパアン賞と BC クラシックを勝っているのだからどこで繋養されても不思議はないと思うが、どういう経緯で日本に来ることになったんだろうか。父系は Luthier 系で、Klairon の3×4というかなりマニアックなインブリードを持っている。まあ世界中どこで供用されたとしてもそれほど成功する確率は高くなかったかも知れない。種牡馬としてはアルアランを出したり、ダートではそこそこ走る仔を出していたがここまで。
イタリアンカラー(父ヤマニンスキー/母リックサンサン,1987) 用途変更
実は現役時代は晩年しか知らない。休み休みながらG2で馬券に絡んだりしていてそれなりに高い能力があった印象なのだが、スプリングステークス3着、目黒記念3着、日経賞2着、という実績だけ書き出すと限界もあったように思える。初年度産駒のカラフルワールドが中央で4勝(平地3勝障害1勝)したが尻つぼみ。ヤマニンスキーもこれでおしまいか。ヤエノムテキが駄目だった時点で事実上終わっていた気もするけど。
インテリパワー(父ルション/母インテリフラワー,1995) 用途変更
2歳時には道営で活躍、3歳時に中央へ移籍して鳴かず飛ばず、4歳から南関東へ移籍して再び活躍した。中央では準オープンでも勝負になっていなかったのに移籍後には川崎記念まで勝ったのだからよほど水が合ったのだろう。その後も走り続けて笠松に移籍した直後に引退している。広島で種牡馬入りしたらしいが産駒の情報はなし。累代がルション×オウインスパイアリング×リマンド×コントライトとかでタフさはありそうなんだけどね。まあそういう問題じゃないかな。
エアジャスティス(父サンデーサイレンス/母メルドスポート,1992) 用途変更
この馬ダイナオレンジの弟だと記憶してたのだが違った。カッティングエッジの弟だった。なんかほんと自分の記憶のあやふやさがどんどん訳の分からない方向へ向かっている気がする。一歩足りずで知られたディヴァインライトの兄で、さらにもう一歩足りなかった馬。サンデーサイレンス系は既に飽和し始めていたはずで、種牡馬になっていたのも不思議なぐらい。流石に厳しいか。
エアスマップIRE(父 Danehill/母サトルチェンジ,1995) 輸出(韓国)
マンハッタンカフェの半兄。どことなく才気を感じさせたが実際は超一流には足りず、G1にはとうとう挑戦していない。かなりしょっぱいメンバーのオールカマーを勝ったのが唯一の重賞勝ち。種牡馬入りして初年度はかなりの頭数を集めたようだが、韓国へ輸出されることになった。良血ではあるし持てる素質は充分だと思うけど、ダートなのがなあ。芝向きの印象は否めないだけに。ただまあ、やってみたら案外ダートでも走るかも知れないし、ともかく頑張って欲しい。
オースIRE(父 Fairy King/母 Sheer Audacity,1996)輸出(アイルランド
ダービー馬さま。ダービー馬がしばしば日本でそうなるように打率の低い種牡馬だった。コスモオースティンキョウワハピネスラブカーナと出したがここまで。正直日本に残ってもジリ貧間違い無しなので、それであればオファーのあるタイミングで動くのは正しいし本人のためにもいいだろう。と思っていたらアイルランドでは結局供用されることもなくインドへ移動と相成ったそうだ。(参照→海外競馬:日本を去った英ダービー馬オースがインドへ売却)んー、インド。オウンオピニオンの国、ハクチカラの眠る土地。幸運が共にありますように。
オースミメダリスト(父シャンハイ/母シル,1995) 用途変更
マルゼンスキーの半弟。母シル 25 歳時の産駒で、マルゼンスキーとは 21 歳、直上の姉とも7歳離れている。シルは牝駒が比較的多く、牡駒はこの馬で3頭目。どうしても牡馬が欲しかったのかも知れないが、そこでシャンハイかよとはちょっと思う。余計なお世話というかまだ産駒デビュー前だったんだけど。ということで1戦0勝ながら種牡馬になり、細々と産駒を送り出してきたがここまで。むしろよく頑張ったというべきか。

次回へ続く。