黄昏通信社跡地処分推進室

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名前を残した馬たちへ2007 (2)

(1) → 名前を残した馬たちへ2007 (1)

クラノコウテイ(父ナスノダンデー/母ガイカクイン,1995) 用途変更
北関東で活躍したナスノステージワンの全弟で、自身も宇都宮で A2 まで行ったらしい。父ナスノダンデーは公営で走った馬で、その父はトウショウルチェー。そもそもナスノダンデーが種牡馬になったのも不思議だし、ましてこの馬が種牡馬になっているのは驚きとしか言いようがない。累代はナスノダンデー×マナード×グスタフ×パールダイヴァー、ともうなにがなんだか。残念ながら?2年で供用停止となったようだが、産駒は一応いるようだ。毎年1頭ぐらいはこういう不思議種牡馬が居るのは面白い。さて、この血を残せるか。
ケイワン(父 L'Emigrant/母タンゴダンサー,1988) 死亡
ちょうど競馬を観始めた年に中央入りしてきた馬で、北海道の芝の中距離で活躍した。オープン特別の道新杯を勝っている。大井の B1 から中央の 900 万下に編入されていきなり勝ち負けだったのだからよほど芝適性が高かったのだろうが、一方でちょっとたるい印象で、上がりがかかるレースじゃないと通用しなかったと記憶している。わりと良血だったそうで種牡馬入りしたが、流石に活躍馬は出せなかったようだ。てっきり東北牧場で繋養されていると思いこんでいたのだが違って、北村牧場というところだった。停止事由は死亡だが詳細は不明。
コロナドズクエスト(父フォーティナイナー/母 Laughing Look,1995) 死亡
ううむ。フォーティナイナーの後継ということで期待されて輸入されたが、日本での産駒がデビューする前に死んでしまった。心臓麻痺だったそうで、仕方ないこととはいえついていない。どうもフォーティナイナーエンドスウィープ周辺の父系を日本で根こそぎにしてしまいそうで、ちょっとそれが嫌な感じ。まあ走る馬が出れば海外からオファーが来る時代になったわけだから、そこら辺は過剰に心配しても仕方ないかとも思うけど、選抜の環境として日本がベストかというとやや疑問かなあという。
サイレンスホーラー(父サンデーサイレンス/母グロリエラ,1993) 用途変更
んー。父サンデーサイレンス、中央で2勝して、7歳時に名古屋に転出するも1勝もできないまま8歳で引退。ナスノダンデーとは逆の意味で、毎年こういう種牡馬も居る。
サニースワロー(父スイフトスワロー/母サニーロマン,1984) 用途変更
この馬の現役時代は見ていなくて、大西が乗って東京優駿メリーナイスの2着に来たことと、通算成績は凡庸だったことぐらいしか知らない。引退して種牡馬になってからは種子島に渡っていた、ということもかろうじて昔の『パーフェクト種牡馬辞典』で見ただけで、その後どうしているのかも全く知らない。つまりなんにも知らないな。
ネットで調べても情報は乏しいが、まとめると「浦和のとある馬主のバックアップを受けてライフガード(父インターメゾ)という種牡馬と共に種子島に渡り原崎牧場というところで繋養され、何頭かの産駒を送り出すも泣かず飛ばず。そのうちに種子島での馬産は断念され、サニースワローはそのままそこで繋養されていた。2006 年の時点で死亡していたらしい」というような感じ。信用しないように、とは書いておこう。
抹消の日付が 2006-01-01 になっており、おそらく 2005 年分の異動処理が締め切られてからそれ以前の異動について事由を「用途変更」として届けたものと考えられる。netkeiba のデータベースへの書き込みでは 2006 年に2年ぶりに訪ねたら亡くなっていた、という記述があるので、それが事実であれば 2004〜2005 年に死亡したと推定される。かなり数奇な後半生であったとは言えるだろう。幸せであったのかは当人に訊かなければわからないことだが、温暖な気候のもとのんびり過ごしたのだと信じたい。
参考→座布団が行司にクリーンヒット -- 2005-07-07:現在は九州にいない、もしくは引退した種牡馬

シンコウウィンディシンコウウインディ(父デュラブ/母ローズコマンダー,1993) 用途変更
今風に言えばカミツキ王子(うるさいよ)。レース中に競り合っている相手に噛み付きに行くという間違った方向の闘争心で有名だった馬。相手の首筋に歯型が残るほど噛むことすらあったらしい。しかもレースには負けてたり。フェブラリーステークスが G1 に昇格した年の勝ち馬で、短期間でかなりの上昇を見せているが、その後は長期休養などもあって活躍できなかった。この成績では種牡馬としては辛かったか。先週の競馬ブックで山野先生も書いてたが、アサティスデュラブは(おそらく導入価格や種付け料などに比しても)期待よりはるかに活躍した種牡馬で、印象は地味だけどもっと評価されてよかったと思う。その意味でもこの馬辺りにはもっと血を残してもらいたかったので、そこは残念。ちなみにこの馬も日付が 2006-01-01 なので、おそらくそれ以前に用途変更されている。

ジェリUSA(父 Theatrical/母 Garimpeiro,1992) 輸出(アメリカ合衆国
二度目の輸出。種牡馬入り当初は米国で供用、2000〜2001 年は日本、2002〜2003 年は再び米国、2004〜2006 年は再び日本、そして今年からまた米国、とテニスのタイブレークのサーヴ権みたいな移動を繰り返している。そういう契約なのだろう。日本では辛うじてラッキーブレイク1頭出した程度で正直冴えないが、向こうではどうなんだろうか。日本で駄目なら向こうでも難しいだろうなあとは思うのだが。
ストローズクリークUSA(父 Halo/母 Bottle Top,1991) 輸出(韓国)
ヘイロー産駒でケンタッキーダービー2着、ベルモントステークス3着などのあるそこそこの活躍馬……らしいんだけど、知らない。初年度産駒が今5歳で、今のところ活躍馬も出せていないし EI もかなり残念な数字ではあるようだ。輸出もやむなしというところ。新天地で活路を見出せるか。

次回へ続く。