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スズパレード死す

あんなこと書いてたら、このニュース。


 87年の宝塚記念を制したスズパレード(牡27)が、2月24日に北海道浦河町イーストスタッドで老衰のため死亡していたことがわかった。
 スズパレードは、父ソルティンゴ、母スズボタン(その父ロムルス)という血統。シンボリルドルフらと同期で、3歳春のクラシックは皐月賞(GI)4着、日本ダービー(GI)4着に終わったが、ラジオたんぱ賞(GIII)で重賞初制覇。その後は重賞戦線で活躍し、87年中山記念(GII)、ニッポーテイオーを破った87年宝塚記念(GI)など、通算25戦12勝(重賞8勝)の成績を残した。
 引退後は種牡馬入りしたが、目立った活躍馬は出せなかった。
年齢的にまあ、というところではあるが、寂しいニュースではある。今年も競馬ブックに種付け料が載っていて(受胎確認後で 50 万円とかだったと思う)、まだ健在なのかと思っていたのだが。サンスポのミニニュースでは「00年の交配を最後に種牡馬を引退」とか書かれていてちょっと気の毒だった。何をもって引退とするか、という問題はあるけど。
スズパレードについては、おれはもちろんリアルタイムには知らない。知ったのは『パーフェクト種牡馬辞典』*1スズマッハと共にちょろっと載っていたからだ。

近親で同馬主のスズマッハとともにシンボリルドルフにぶつかり、ダービーはマッハ2着、パレード4着。ここから2頭の道が分かれた。マッハはG1路線のわき役になり、パレードは裏街道路線で主役となって勝ち星を積み重ねた。
限られた字数だが、物語をさまざまに想像させる記述で、この短い文章をおれは本当に何度も何度も読み返している。自分にとって競馬というのはどこか観念的なもので、だからこそこれだけの文にかくも強く印象づけられたのかとは思う。それでも、成績表やあるいは時に実際にレースを観ることにもまして物語が力を持つことが、競馬においては起こり得る気がする。

*1:ここでは 1995 年版より引用。かなり長いこと載っていたと思う