黄昏通信社跡地処分推進室

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そこに山があるから、とかアホか。

何故山に登るのか?
これがいまいち言葉にし切れない。というのはおれは山に行くとき行きたくてしょうがなくて楽しみで楽しみで、なんてことなくて、事前はむしろちょっと気が重くてうーん上手く行くといいなあとか買い出しめんどくさいなあとか思っておるわけです。
そして山はしんどい。荷物は重いし傾斜はきついしあほみたいに汗かくし、テントは狭いし飯は上手く炊けないしおかずは貧弱だし無性に腹が減る。そして行き着く先といえば他よりちょっと高いだけのところで、天気でも悪かったりした日には見渡す限り雲雲雲だ。しまいには苦労して登ってきた高さを全部下り直す羽目になる。なんなんだいったい。金かけて貴重な休暇費やしてわざわざそんなことをしている。
んだけども。
身体を動かすことの根本的な楽しさや、足下に咲く高山植物の小さな花の美しさや、見上げた空の意外なほどの蒼さや、自分の足で 3000m 前後の高さまで自らを持ち上げる喜びや、その高みでしか味わえない涼やかな空気と鋭い陽射しや、夏だというのに信じられないほど冷たい沢の水の旨さや、どの方向を見ても自分の足下より低いところしかない感覚や、
そんなこんな全部をまとめて味わえるというのは上で書いたコストを全部払ってもお釣りが来てしまう。それを体感的に知っているから、事前に多少めんどうになっても乗り越えられる。
単純だけどそんなことのためにおれは山に登っています。これでもまだだいぶ矮小化しちゃってるなーという感じはあるので、もう少しうまく書けるかも知れない。
で、ある程度は自分で苦労しないと感動が目減りすると信じている節があって、山小屋に泊まらずテント&自炊にこだわったり、さすがに上りではロープウェイを使わなかったりするのは多分そんなような理由。確かに苦労に見合う喜びというのはある。ただ、それが全てということは決してないので、もっと歳をとってしんどくなったらテントも諦めると思うし、そのうちロープウェイで山に登るようになる日が来るかも知れない。
しかしこの歳にもなると山登りながら「もうこの山二度と来ないかも知れない」とか思うようになっていて、我に返ると中々複雑な気分。