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ダイタクヘリオス、死す

ダイタクヘリオス|馬|Um@SQL
この一連の戦績を見るだけで、実に味わい深い。21 世紀には見られない馬柱というか、まあこの当時でも相当チャレンジングな使われ方であったと思う。最後黄色(G1)が4つ並んでいるところなど圧巻だ。
マイルチャンピオンシップは圧勝で二連覇しているが、安田記念スプリンターズステークスも二度挑んで勝てなかった。5歳時に至ってはそのいずれも1番人気で馬券にすら絡んでいない。そもそも競走生活を通じて1番人気で勝ったのは 400 万下の1回だけで(1回勝っている辺りがまた)、4歳以降は3度の1番人気を全て裏切った。
間違いなくマイラーではあったが、一方で中距離戦での健闘がかなり目立つ。宝塚記念でも有馬記念でも5着があるし、高松宮杯毎日王冠でも勝ち星があり、身体的な距離適性としては充分 2000m に対応できたのではないかと思う。秋の天皇賞に挑んだのが1回だけで、それがメジロパーマーとびっしり競り合ってしまう展開だったのは不運だったが、あのレースにおいてすら 0.6 秒差の8着に踏ん張っている。
逆に 1400m 以下で馬券に絡んだのは3歳時までで、4歳以降は使われる機会も減っているとはいえ結果を残せていない。激しい気性のゆえに中距離を走らせるのが難しい部分はあったのだろうけど、レース選択が悪かった印象は否めない。
とはいえ、だからこそ記憶に残る競走馬ではあったのだろう。頂点に立つのが遅かったにしても、このクラスの馬が3年3ヶ月で 36 戦というのは些か多いし、長期休養も殆どない。4歳時と5歳時はフル回転でターフをにぎわした。負けるレースはあっさり負けて、勝つレースは圧倒的に勝った。着差だけ数字で見るとそうは思えないかも知れないけど、勝つときは多少ペースが速かろうとなんだろうと先行して有無を言わさず押し切る、王者のレースをしてみせた。最後までチャンピオンらしい扱いはされなかったが、「強いときはめちゃくちゃ強い」という認識は結構みんな持っていたと思う。
種牡馬としては初年度にダイタクヤマトを送り出した。この代表産駒も G1 勝ちは 16 番人気で、その次のレースですら8番人気にとどまりながら連勝するなど、確実に父の血を感じさせる戦績を残した。種牡馬としても結構やるのかも、と思わせたが、その後は活躍馬を出せずじまいだった。そしてとうとう種牡馬登録も抹消され、余生を送ろうかというところでの突然の死だったそうだ。なんともあっけなく、寂しいことだ。
期待を裏切って負けて、低評価をくつがえして勝って、でも最後は2連戦ともぐだぐだで引退し、厳しい条件に負けず G1 馬を出した。確かな能力と意外性に彩られた半生だった。牧場では「シンザンの記録も越えるくらい長生きしてくれるものと思って」いたという。なにもそんな期待まで裏切らなくてもいいじゃないか。
さようなら、ダイタクヘリオス
君の冥福を、決して期待はせずに、ただ祈るよ。