黄昏通信社跡地処分推進室

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今はもう登れないあの高み

今の小学校には確かに無さそうだが、おれが小学生の時分には校庭に「登り棒」というすげえ遊具があった。まあほんとに鋼鉄(ステンレス?)のパイプが垂直ににょきにょき立っているだけの遊具なんだけど、これがおれはとても好きだった。
おれは身体中硬いが股関節だけは結構柔らかい。棒を登るのにもっとも必要とされる資質は筋力でもなくバランス感覚でもなく股関節の柔らかさだ。おれは運動は全部駄目だが棒を登るのだけは速かった。6年生の頃はおそらく全校でも一二を争える程度には速かったと思う。
棒を登る方法には二種類ある。手はまあ誰でも同じだ。脚の使い方が違う。膝から下を棒に絡めて登るやり方と、両足の裏で棒を挟むやり方だ。速さには直接影響しないはずだが、経験的には後者の方が速い。それに融通も利く。隣の棒に乗り移るなんていうサルまがいの技を見せるためには後者ができなければ問題にならない。しかしもちろん後者はある程度以上股関節が柔らかくないとできない登り方だ。つまり選ばれし者の登り方であり、おれは選ばれし者だった。
登り棒はしかし無限に続くわけではない。上端では水平のパイプにつながり、その先でもう一本の棒とつながっている。おれの小学校の登り棒はそういう2本の組が6組並んでいた。おれは棒を登りつめた後勢い余ってその水平のパイプの上を歩き回ったりしていた。精々2階ぐらいの高さだったと思うのだが、驚くべき分別の無さだ。しかし小学生男子に多くを求めてはいけない。あいつらは莫迦だ。
ところでうちの小学校には体育館に「登り綱」というのもあった。これは体育館の天井近くに設置された梁から地表まで垂らされた単なる太い綱で、これまた登り欲をそそられるシロモノであった。ふだんはしまわれているのだが、雨の日などにたまに開放されていることがあって、そうするとおれは勇んで梁のところまで登っていった。多分登り棒のてっぺんよりは高かったのではないだろうか。流石に梁まで上がったりはしなかったが、上端の金具部分に手をかけて見下ろす体育館の眺めは結構凄かったように記憶している。
おれは選ばれし者だった。あと莫迦だった。だとすれば高いところに登らざるを得ないではないか。あの頃の登り経験は、今生きている上でビタイチ役に立っていない。