黄昏通信社跡地処分推進室

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前日の夜、20 時頃から周期的な痛みがあると妻が訴える。それほどの痛みではないそうだが、若干間隔にばらつきはあるもののずっと続く。
予定日は 06-21 だったので、もう何時産まれても不思議ではない状況ではある。ので、とりあえずお風呂に入ってもらう。風呂から出ても痛みは続いているが、日付が変わる頃に寝ることにしてふたりとも布団に入る。
日付変わって1時。妻は痛みで眠れなかったため、結局病院に電話する。状況を説明すると、じゃあとりあえず来ておきますか、というようなことだったので(おそらく「まだ早いのではないか」という判断だったのだろう)、タクシーに乗って病院へ向かう。深夜料金がかかってしまったが、道路が空いていたのでその点ではこの時間帯でよかったか。車内では痛みが5分間隔ぐらいになっていた。
2時前に病院に着く。陣痛室という部屋に入れられて(おれたちだけだった)、ベッドに寝かされモニター機器を接続される。胎児の心拍と母親のお腹の張りを計測できる機械……なのだが、心拍はともかく張りってどうやって測ってるんだろうな。
ともあれ、安静にしていると痛みの間隔も 10 分〜 20 分というところで、まだ差し迫った状況ではなかった。外に出てなにか食べ物を買ってきなさい、とのことだったので、ローソンまで歩いて行ってパンとかおにぎりとかどら焼きとかを買った。しかし歩いていると痛みの間隔が短くなって、大した距離でもないのに何度も立ち止まりながらの往復になった。
3時半頃、陣痛室に帰り着き、朝まで寝ましょうということになる。妻はもちろんベッドで、おれはその脇の簡易ベッド。
6時半、起きる。妻はまどろんではいたものの痛みが来るたびに目覚める、というのを繰り返していたようだ。この時点で痛みの間隔が 10 分になり、陣痛開始が宣言される。
おれは荷物から着替えやスリッパを出したり、母子手帳、診察券、入院同意書などを持って入院手続きに行ったりする。土曜日なので受付は休みで、夜間受付みたいなところで手続きを済ませる。
ここからは子宮口が開くのをじっと待つ。結構順調だったみたいなのだけど、それでも痛みは相当なもののようで、おれの手を握っている手にも凄い力がかかってくる。この段階だとまだ息んではいけないので、かなりしんどいらしいですね。
10 時半、分娩室に移動。おれも立ち会うのだが、おれだけちょっと待たされる。着替えたりやらなにやら態勢を整えてから、分娩室に入る。
ここまで来るといよいよできることがない。水を飲ませるか、紅茶を飲ませるか、あとはうちわであおいであげるぐらいのことだけ。側に立ち、見守る。ちょっと声をかけたり、手を握ったりする。
陣痛がやってくると、妻は息を吸ってから止めていきむ。息の続く限り力をこめてから、息を吐く。もう一度吸って、またいきむ。また吐く。余裕があればもう一度いきむが、だいたい2回か3回で陣痛は去っていく。
教科書によれば陣痛の間隔はどんどん短くなっていく筈なのだけど、多分あんまり短くならなかった。最後まで3〜5分ぐらい間隔があったのではないだろうか。でも、はっきりしたことはわからないけど、あれより短かったらいきむ力が回復しなかっただろうと思うので、そういう風にできているのだろう。
分娩室もおれたちだけだったので、担当の人以外のスタッフも入れ替わり立ち替わりやってきて様子をみていく。看護士さんと担当医さんは口々に順調に進んでいると言ってくれる。しかしいつまで続くのかは見当がつかない。時々時計に目をやったが、思っているより時間は速く進んでいる気がした。
分娩台に上がってから2時間以上経ち、そろそろ頭が見えてきた、というころになってもまだ破水していなかった。結局羊膜を少し切って破水させることになったらしかった。
とうとう最後の段階が近づいてきた。会陰切開という奴で、担当医さんがあちこちをぱちぱち切っている。ぎょええ。そして陣痛。妻がいきむ。下腹部の向こうに頭、というか髪の毛が出てくるのが見える。とうとう出てきた。結構黒々としてるな。「頭が出ましたよ」誰かの声。そして泣き声。「もう泣いてますよ」「ケンラク一回」ケンラクってなんだ? 巻絡、か。赤子の身体がずるっとでてくる。その刹那、首の周りになにか回虫のような白い管状のものが巻いているのが見える。臍の緒って意外と太いんだな。
全身が、出てきた。
小さくて、血と油まみれで、変な色。赤っぽいところと白っぽいところと紫っぽいところがある。ねえこれほんとに大丈夫? 死なない? きんたまとか壊死しそうな色に見えるよ? 看護士さんが吸引機のチューブを突っ込んで赤子の口の中から色々吸い出す。分娩台の上では妻がぐったりと力尽きている。赤子は血やらなにやらを拭われて少しはましな姿になる……と思ったら、盛大におしっこを放った。おお、すごいぞ。
しわだらけで、くしゃっとした顔で、でもなんて可愛いんだろう。

この後は少し端折りながら書く。
赤子の体重が量られ、何故か何回か量った後 3150g という確定値が出た。妻は切開部の縫合を受けたが、体力が落ち切っていたこともあってこれが結構辛かったようだ。
そして携帯で息子の写真を撮ってから、分娩室の外に出て表に来ていた夫婦それぞれの両親に報告する。その後メールをどかすか打つ。この頃から猛烈に眠くなってきて何を打っているのかよくわからなくなったりする。
分娩室に戻ると、妻はしばらくして起き上がろうとしたところで貧血で気を失い、また横たえられていた。このあとさらに時間を置いてからもう一度試みてもう一度気絶してしまい、気絶した状態で陣痛室に運ばれたらしかった。(本当は病室に移動するのだが距離が大きいため隣の陣痛室に移された。)
おれはこの日のうちに息子を抱き上げておくべきだったのだけどタイミングを逃してしまい、結局頭や頬を触るにとどまった。
双方の両親がガラス越しに息子を眺めてからそれぞれに帰宅し、ようやくおれは陣痛室に戻って朝コンビニで買ったサンドイッチやらおにぎりやらを食べた。ものすごく旨かった。妻には病院の食事が出た。おれが食べさせたが、体力が落ちているためもあってか全部は食べられず、残りはおれが食べた。
ふたりとも眠くなってきた上に正確には面会時間が終わっていたので、そこで別れを告げて病院をあとにした。一日目はこうして終わった。

出産に立ち会うことについて書いておこう。
まず大前提として(もちろん皆さん承知だろうけど)出産において夫は何の役にも立たない。それは立ち会っていようがいまいが同じ。精々水を飲ませたり場合によってはなにか食べさせたりという程度のもので、それは誰でもできる。
でも妻の心の支えになることはできる。夫に単純にそばに居て欲しいと思う女性も少なくないだろう。逆にできれば苦しんでいるところを見られたくない人も居るだろう。だから、もしこの文章を奥さんの出産に立ち会おうかどうか悩んでいる男性が読んでいたら、おれが伝えることは単純だ。奥さんが望むなら立ち会い、望まないなら立ち会うな。
実際に立ち会って、もちろん得るものはあった。単純に分娩がどんなものか目の当たりにできたし(もっとも、頭の側から見るので一番肝腎な部分は何も見えない)、産みの苦しみと喜びをほんのわずかながら分け与えてもらうことができた。夜、握られていた手を見てみたら、妻の爪の跡がびっしり残っていた。翌日には消えてしまうような跡だったけど、それでもこのぶんだけは妻の苦しみを軽くできたのかも知れないと思う。それは決して悪い気分ではない。
病院からすると「立ち会ってる夫が気分を悪くして倒れる」というのが最悪なのだそうで、おれも分娩室では「気持ち悪くなる前に言ってくださいね」などと言われていたのだけど(無理だ)、結果的には全然平気だった。先ほども書いたけど、角度的にそれほど血は目に入らない。ただ、血とおりものの臭いは充満するので、それが苦手だともしかすると気分を悪くする、のかも知れない。
もちろん、お産がかなり順調だったからこんなことを書けるという面はあるのだろう。もっと長びいたりアクシデントが起きたりということも当然あり得る。

ともあれ、無事に息子はこの世に生を受け、おれは父親になった。