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[競技の名はドジボール] 心に残るゲームたち (19-1):『ぺんぎんくんWARS』(回顧編)

■『ぺんぎんくんWARS』 UPL/アーケード,1985 // アスキーMSXほか,1985
おれとこのゲームとの付き合いは長い。はじめてプレイしたのは小学5年生の頃、渋谷の某有名百貨店5階のパソコンコーナーでデモっていた MSX 版だった。直観的に把握できるルール、単純な操作、それでいて熱い展開。結構やりこんだ憶えがある。でも当時のおれにはこのゲームの凄さは全然わかってなくて、ただ「ちょっと地味だけど面白いゲーム」ぐらいにしか思っていなかった。もちろんアーケードからの移植とも知らず、ROM カートリッジにアスキーと書かれていたため、アスキーのオリジナル作品だと思っていたぐらいだ。
そんなある日、そのパソコンコーナーでなぜかこの『ぺんぎんくんWARS』を用いたゲーム大会が開催される。おれは友達と連れだって参加した。大会といっても、今日想像されるような対戦プレイで勝負する、というものではなく、ひとりずつ COM 相手にプレイして進めた面数に応じて賞品がもらえる、というシステムだった。おれはその頃には5回に3回ぐらいは3面のコアラまで進めるようになっていたが、その日は残念ながら2面のパンダに敗れてしまった。
賞品はどういうわけかナムコゲームグッズ詰め合わせみたいなのだった。パックマンの紙袋(!)が入っていたのを憶えている。一緒に行った友達はコアラまで進み、やはりナムコグッズ詰め合わせをもらっていた。おれのの倍ぐらい入っていた。帰りに紙袋とかを分けてもらったのは忘れない(ドルアーガだったと記憶している)。いい奴だったなMくん。今どうしてるんだろう。
ほどなくおれは中学に上がり、堂々とゲーセンに通うようになって、百貨店からは足が遠のいた。同時にこのゲームともしばらく縁が切れた。熱が冷めたというわけではなく、単に自分の行動範囲のどこにもこのゲームがなかった、という感じだった。
数年後、高校生の頃か、あるいは大学生になっていたか、よく行くゲーセンに突然このゲームが入荷された。思いがけない再会だった。驚いたのは、タイトル画面に燦然と UPL のロゴが輝いていたことだ。その頃までに『忍者くん阿修羅ノ章』『アトミックロボキッド』『オメガファイター』といったゲームのおかげで少なからずおれは UPL ファンになっていた。かつて自分がやりこんでいたゲームがひいきのメーカーの作品だと知って嬉しかったし、懐かしさもあってコインを投入していた。
面白かった。
ブランクこそあったが、その間あほみたいにゲームばかりやっていたので、多分おれ自身のゲームの地力が上がっていたのだろう。あの日煮え湯を飲まされたパンダにはまず負けなくなっていた。何ゲームかやるとコアラにも勝てるようになっていた。4回戦の相手はビーバーだった。ゲーム内では 16 人(?)のシングルエリミネーションのトーナメントが組まれているので、これが決勝戦になる。流石にビーバーは強かった。しばらくは準優勝が続いた。
ゲーム自体はすごくシンプルだ。テーブルを挟んで 10 個のボールを投げ合って、相手の側に全部ボールを叩き込めば勝ち。ボールにぶつかると気絶する。試合時間は 60 秒で、時間切れになると自分の側のボールが多い方が負け。
これだけのゲームだが、展開に紛れが生じる要素が主にふたつある。
ひとつは、ボール同士がぶつかった時の挙動が殆ど予測不能であること。テーブル自体は長方形なのだけど、俯角の視点で描写されているため、画面上では等脚台形として描かれている。だからまっすぐ投げたボールも画面上では斜めに転がる。ボール同士がぶつかるかどうか、そしてぶつかったあとどちらへ転がるか、いずれも咄嗟には判断しがたい。
もうひとつは、残り時間が 20 秒を切ると中央に障害物が登場することだ。虹色に輝く芋虫みたいな物体で、当たったボールをすべて跳ね返してしまう。これによって、お互いに思い通りにゲームを進めることがより難しくなる。
普通にボールを投げ合っているだけでは、まず決着はつかない。時間切れ以外で勝とうとするなら、相手を気絶させることは殆ど必須だ。逆に自分の気絶は避けなければいけない。ボールを適当に投げつつ、飛んでくるボールを避けて、相手を気絶させるチャンスをうかがう。
詳しいことは攻略編に譲るが、「斜めにボールを投げる」ことに慣れてくると、俄然面白くなるし勝率も伸びる。小学生の頃はここまで辿り着けていなかった。それを理解すると、ビーバーにも勝てるようになってくる。最終的には、7割以上は勝てていたのではないだろうか。逆に言うと、調子が悪い日はあっさりビーバーに負けることもあったように思う。
ビーバーに勝つと、ゲームは2周目に突入する。再びトーナメントの1回戦から、ネコ、パンダ、コアラ、ビーバー、と対戦しなければならない。敵自体はそれほど強くなっていないのだけど、最初から画面中央に障害物が置かれているのがかなり辛い。コアラだけは例外的に楽勝できるのだが、ビーバーまでは辿り着くだけでも相当骨が折れた。
対戦型ゲームは、どうしてもバランスの調整が難しい。敵はコンピュータなのだから、それこそコンピュータのように正確に動くこともできるが、それだと往々にして強過ぎる。逆に、前半に登場する敵の強さというのも難しい。完璧に動ける筈のコンピュータが「弱い」と、なんとなく手を抜かれている感じがして納得行かなかったりするからだ。
『ぺんぎんくんWARS』はそこが凄く上手くできていた。弱い敵はいかにもおどおどと動き、それでいてぺこんとボールにぶつかったりする。強い敵はきびきびした鋭い動きでボールをかわし、ひとたびこちらが気絶すると的確にたたみかけてくる。いかにも戦っている感じがして楽しかった。
BGM がよかったことも忘れられない。石川秀美の「もっと接近しましょ」という曲らしいのだが、元の曲を知らない(だからおれにとってはこの曲は「ぺんぎんくんウォーズのテーマ」だ)おれが聞いても明るく楽しく、アレンジも上手くはまっていて、ゲーム全体の雰囲気を作り上げていたと思う。
グラフィックこそ MSX レベルだったものの、とっつきやすく楽しく、それでいて奥が深い。名作と呼べる作品ではなかったかも知れないけど、たぶんもっと評価されるべきゲームだった。
しかし、かなりやりこんだにもかかわらず、おれは結局このゲームをクリアできなかった。上でも書いた通り、1周目のビーバーでも勝率は7割強ぐらい、2周目になるとネコやパンダでも5割に乗るかどうかというところだったからだ。
2周目のビーバーに勝てたのは、一度きりだ。
実は、特に他の根拠は無かったのだが、2周目の難度がかなり高いので、2周クリアすれば終わりなのでは、となんとなく思っていた時期があった。それだけを励みにプレイしていたある日、ふと2周目のビーバーから2本奪って勝ってしまった。
何事も無かったようにボーナスステージが始まり、新しいトーナメント表が出てきた。
3周目の第1試合に入り、表示された画面を見て目を疑った。向こう側のフィールドに、ネコが2匹居るのだ。なんだそれは。タイマンじゃなかったのかこの競技。いやどこにもそんなこと書いてないけど。
ネコはもちろん弱いままなのだが、一対二は流石に不利過ぎる。それでもおれは、たまたま投げたボールが二匹に同時に当たって気絶させるという幸運にも恵まれて一本取った。だがそこまでだった。負けた試合は、いずれも一度の気絶からあっさり全部(なにしろ二匹がかりだ)ボールを放り込まれて終わりだった。なんだそれは!
このゲームは何面まであったんだろう。有限だとしたら、クリアできた人はいたんだろうか。おれよりゲームが上手い人はいくらでもいたし、その中にはぺんぎんくんWARS をやりこんでいた人もいるはずだ。だとすれば、きっとこの問いの答を知ってる人も、この世のどこかには居るのだろう。

メモ

  • wikipedia にはPC-8801MSXファミコン版には石川秀美の「もっと接近しましょ」が使われていた。」と記述されているが、おそらく記述者が確認できた範囲だけ書いているのだろう。アーケードも同じ曲だった。いやおれが直せばいいんだけど。
    • 追記:勝手に使う筈は無いのでタイアップかなにかだったと思われるのだが、事情は全く不明。
  • んで、本文中にもちょっと書いたけど次回は攻略編の予定。今週は日曜日になってしまっているので、来週辺り1回休んだりするかも。


過去に載せた分は以下の通り。上に行くほど新しいエントリです。
[MTJ 氏のこと](番外編)
[おまえはワイドだ]:『オメガファイター』(1989)
[かみさまおねがい]:『高田馬場アドベンチャー』(1983?)
[力を合わせて]:『ゲイングランド』(1988)
[麻雀に似たなにか]:『スーパーリアル麻雀P4』(1992)
(番外編):『ツインビー』(1985)
[幻のライバル]:『キャメルトライ』(1989)
[Ready Go!]:『プラスアルファ』(1989)
[終わりなきゲーム]:『ギガンテス』(1990)
[追っかけっこ]:『ポリス&ギャング』(1983)
[今度は縦スクロール]:『イメージファイト』(1988)
これより古いバックナンバーはこちら→[心に残るゲームたち](移設完了しました)