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[全力でぶったたけ!] 心に残るゲームたち (20):『超絶倫人ベラボーマン』

■『超絶倫人ベラボーマン』 ナムコ/アーケード,1988
レトロゲーム話も今回で 20 回目。この 20 回というのはかなり恣意的なカウントだが、ちまちまと書き続けてまる6年だから、まあおれにしては続いた方かも知れない。というわけで、でもないのだけど、今回は少し知名度の高そうなゲームをとりあげてみよう。
超絶倫人ベラボーマン』が登場した 1988 年頃は、ナムコの威光はすでにかなり薄れていたように記憶している。
1980 年代前半のナムコアーケードゲーム業界でも頭一つ抜けた存在で、面白いゲームを立て続けにリリースし、魅力的なキャラクターを数多く生み出し、なにより抜群にセンスが良かった。ファミコンやパソコンにも積極的に作品を移植していたし、知名度というか「格」において右に出るメーカーはなかったといっていい。
ところが 80 年代中盤以降は徐々に陰りが見え始める。詳しい考察はここではしないが、かつてのナムコの存在感を支えていた抜群のセンスはいつしか失われ、芯となるアイデアの乏しい作品がリリースされるようになっていた。他のメーカーの台頭と時期を同じくして、ナムコは特別なメーカーではなくなっていっていた。
そんな中、1986 年『源平討魔伝』が登場する。巨大なキャラクターが荒削りながらもぐりんぐりん動く、センスがいいとは言えないけど派手な作品で、どこか人をひきつけるところがあった。
その源平討魔伝を作ったスタッフたち、通称「源平プロ」が次作としてアーケードに送り込んだのがこの『ベラボーマン』だった。
モチーフはべたべたの特撮ヒーローもの。ストーリーからして、平凡なサラリーマン中村等がアルファー遊星人と出会い「ベラボーマン」に変身する能力を得て、世界征服をもくろむ爆田博士に待ったをかける……というもの。昭和 30 年代をイメージしたといわれるどこかノスタルジックなステージをクリアしながら爆田博士のもとを目指す。
この設定だけでも中々面白いが、このゲームのすごかったのは主人公の攻撃方法だ。ヒーローもののお約束で、ベラボーマンは通常時は飛び道具を持っておらず、パンチとキックと頭突きで戦うのだけど、手足や首がびよーんと伸びて遠くの敵を攻撃できる。
もっと凄かったのは操作方法で、「ベラボースイッチ」と名付けられた、ボタンの押下速度を計測する回路が組み込まれ、強くボタンをたたけばより手足が長く伸びる、あるいはより高くジャンプできる、というシステムになっていた。
遠くの敵を倒すには、手足を遠くへ伸ばせばいい。しかし当然大振りになるので連打が効かない。耐久力のある敵は、近づいて細かく何度も殴った方が早い。敵の方から歩いてくる場合もある。一発で倒せる敵が何体も行列してくることもある。
自分の胸ぐらいの高さの敵にはパンチ。左のボタンを叩くだけ。地面を這ってくる敵には頭突き。レバーを下に入れて左ボタンを押す。頭以上の高さにはキック。レバー上+左ボタン。キックでも届かない敵には、ジャンプ中に放てるジャンプキックだ。パンチ、キック、頭突き、ジャンプキック、それぞれの長短を組み合わせて、敵をなぎ倒していく。
上の敵にはレバーを上に。下の敵には下に。小刻みに攻撃したければ小刻みにボタンを押す。思い切り腕を伸ばしたければ強くボタンを叩く。きわめてわかりやすい。
さらにベラボーマンはよく声を出した。各面の初めには必ず「ベラボー参上」、パンチやキックを放つときには「ベラボー!」、大ジャンプの時には「とうぅー」といった具合に。最初はやっていてどこか気恥ずかしかったが、慣れてくると音の小さな台では寂しい気すらしたものだった。
単純明快なシステムと、過剰とも感じるベラボーマンのアクション。操作していると独特の没入感があって、動かしているだけでも楽しかった。そしてこのゲームは、ベラボーマンを自在に操れるようになると、より先に進めるようにちゃんと作られていた。
ステージにはおおまかに町中、忍者屋敷、海中の3種類に分けられる。デモ画面では爆田博士が「わしがつくったぶしつてんそうそうちで 3つのせかいをさまようのじゃ」とかのたまっているのでどうやら転送されているみたいなんだけど、ゲーム中には全く出てこない。
町中はホドラハラ町という架空の町内で、比較的開けているステージでロボット軍団を相手に戦う。忍者屋敷は罠の仕掛けられた屋内で、敵は異形の忍者軍団たち。そして海中ではベラボーマンが変形し、強制横スクロールのシューティングゲームとなる。バラエティに富んだステージ構成には観光としての楽しみがふんだんにあった。
アクの強いボスキャラも随所に登場し、ベラボーマンの行く手を阻む。ベラボーマンと同じ技を持つブラックベラボー、張り手が持ち味の相撲取り雷丸、蹄とエネルギー弾で攻撃してくる強敵ゾルタン。大きなキャラクターが画面狭しと動き回る様は迫力があった。
難度調整も、よくできていた。ベラボーマンは一度や二度の攻撃では吹っ飛ばされるだけで死にはせず、左下の POWER ゲージが減っていく。ゲージはかなり長いので、下手なうちでもゲージを減らしながら何面かは進むことができる。パワーを回復させるアイテムもしばしば出現し、ベラボーマンを助けてくれる。また、面数が全 32 面と非常に多く、ところどころに山場を挟みながらも少しずつ難しくなる、緩やかな難度上昇が実現できていた。
大胆で、インパクトがあり、他に類を見ないアイデア。革新的とまでは言えないまでも、独自の面白さを作り出すことができていたゲームだと思う。このゲームで「源平プロ」は大いに名を上げた。
もちろん、欠点もある。
ひとつは、端的に言って、プレイ時間が長すぎたこと。バラエティに富んでいるとはいえ、全 32 面はいくらなんでも多すぎる。当時はこれぐらいのボリュームのゲームは珍しいほどではなかったし、上でも書いたように緩やかな難度調整に貢献している部分もある。だがそれでも多分長すぎた。おれはかなりこのゲームはやりこんだのだけど、残念ながら 29 面までしか行くことができなかった。後半面はただでさえ難度も高く、1時間以上かけて残り数面に挑み続けるのはいかにもしんどかった。
もうひとつは、ベラボースイッチの故障しやすさだ。ボタンを思い切り叩くというのは通常の使い方に反していて、あまりにも故障を招きやすかった。普通のボタンで大人しく「長く押すほど手足が長く伸びる」というシステムにした方が汎用性も高かっただろう。実際に唯一移植された PC エンジン版ではそのような仕様になっていた。
ふたつの欠点は、いずれもこのゲームの稼働期間を縮めることにつながっていた。
しかし、いま改めて考えるに、ベラボースイッチはやはりこのゲームに不可欠であったように思う。
後年になって、秋葉原のゲームセンターで『ベラボーマン』が稼働していたことがあって、何回か遊んだことがあったのだけど、そこではベラボースイッチを実装できないために、小・中・大のパンチボタンを上段に、同じく小・中・大のジャンプボタンを下段に並べるというボタン配置になっていた。その配置でもそれなりには遊べたのだが、いざという時に大ジャンプしようとすると、かならず上段右のボタンを叩いてしまってとても参った。三つ子の魂百まで、ということではあるのだろうが、それだけ操作とキャラクターの動きが一体になっているということでもある。
『ベラボーマン』の面白さを支えていたのはこの一体感、没入感であって、そこがヒーローものというモチーフとがっちり噛み合っていたのが魅力だった。そして、それはベラボースイッチ抜きではここまで強くは実現できなかっただろう。だとすれば、故障のリスクはあっても、実装されるべきアイデアだったんじゃないだろうか。
最後にひとつ。
このゲームにはあちこちに隠しメッセージが仕込まれている。例えば電話ボックスに触れると「でんわにデンワ!」って出てきたり、明らかに行き止まりの通路を進むと「いきどまり だってばっ!」とつっこまれたりする、とかそういう他愛無いものばかりなのだけど、中にいくつか長文のものが混じっていた。簡単に飛び越えられる穴の底とか、鉄球にぶつからないと行けないところなんかにあって、中々見つけるのが難しかった。内容自体はスタッフが半ば独り言めいたことを書いているだけなのだけど、コロッケソバに対する愛を切々と語っているなんてのもあって、なんか妙な叙情性が醸し出されていたのが印象に残っている。

メモ

  • 書きたい小ねたがいくつかあるので、また今度書きます。


過去に載せた分は以下の通り。上に行くほど新しいエントリです。
[あがけ、最後まで]:『ぺんぎんくんWARS』(1985)(攻略編)
[競技の名はドジボール]:『ぺんぎんくんWARS』(1985)(回顧編)
[MTJ 氏のこと](番外編)
[おまえはワイドだ]:『オメガファイター』(1989)
[かみさまおねがい]:『高田馬場アドベンチャー』(1983?)
[力を合わせて]:『ゲイングランド』(1988)
[麻雀に似たなにか]:『スーパーリアル麻雀P4』(1992)
(番外編):『ツインビー』(1985)
[幻のライバル]:『キャメルトライ』(1989)
[Ready Go!]:『プラスアルファ』(1989)
[終わりなきゲーム]:『ギガンテス』(1990)
[追っかけっこ]:『ポリス&ギャング』(1983)
[今度は縦スクロール]:『イメージファイト』(1988)
これより古いバックナンバーはこちら→[心に残るゲームたち](移設完了しました)