黄昏通信社跡地処分推進室

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「ジョゼフ・コーネル×高橋睦郎 箱宇宙を讃えて」 川村記念美術館,2010-04-10〜2010-07-19

というわけで、行ってきた。
高橋睦郎はコーネル好きで知られているようで、いつぞやの新日にも出ていたと思う。今回は川村記念美術館が収蔵しているコーネルのコレクション(おそらくほぼ全部)に高橋睦郎が一篇ずつ短い詩を添えて、作品の展示のそばにその詩を印刷した冊子を置く、という形態の展示だった。
作品は箱が七点とコラージュが十数点で、掲示されていた略歴によるとコーネルは晩年箱造りを止めてコラージュに移行していたらしい。まあ、箱造りもコラージュではあるのだが、立体と平面ではやはり違うものではあり、今回見た限りではコーネルの本領は箱にあった。
箱に関しては大多数の作品を図版で見たことがあり(以前書いたチャールズ・シミックの『コーネルの箱』に載っていた)、その現物を見るというのは中々に感慨深いものであった。ただ、その感慨は必ずしも正方向のものだけではなく、まあ当たり前ながら現実と写真とは良くも悪くも違うのだなあということは感じた。
例えば最初に展示してあった『無題(ピアノ)』は図版を見て素晴らしいと思っていたのだけど、実物はそこまででもなかった。これは主に照明の暗さに起因していて、特に「ピアノ」の様に棚状の構造になっているものは下段がよく見えない。天使の像など目を凝らしてやっと見えるという感じだった。ものがものだけに照明を落とすのは演出抜きにしても止むを得ないのだろうが、率直にこれは残念なところではある。
逆に『鳥たちの天空航法』はやはり実物を見てよかったと思えたもののひとつ。パイプやボールの質感、渡された金属棒の危うさ、青と白のコントラスト、いずれもが写真より鮮やかに目に映った。パイプもボールも軽く、特にボールは吹いただけでも転がりだしそうに見える。金属棒はその軽いボールならどうにか支えようという細さだ。箱の内側の青ははっとするような深さで、真白いパイプとボールが眩しくすら感じる。あれだけ小さな箱の中に空や鳥、光や風を閉じ込めてしまうことができるなんて。
もうひとつ印象的だったのが『海ホテル(砂の泉)』。壊れたグラスにいっぱいにたまり、さらに箱の底面にまで溜まった砂は、上から降り注いだのか、グラスの中からわき出でたのか。いずれにしても今は完全に流れを失い、ただじっと動かずそこに積もっている。安直すぎる連想だろうけど、うち捨てられたリゾートと《砂》の流れ着いた浜辺――数値海岸を想い起こした。材料のところに「着色された砂」と書いてあったのも、おそらく実物を見なければあまり気にしなかったことと思うが、言われてみると確かに黄褐色が鮮やかすぎるようにも思える。あちこちで拾った材料を詰め込んだように見える箱にも、多分細心の作為が施されているのだ。
そんな感じで、一部屋に収まる展示だったけど、満足できる内容だった。
他の部屋では(おそらく)通常通りの展示をしていて、思いがけず噂の「ロスコ部屋」なども体験した。多分もう少し年取ってからもう少しゆっくり見た方がいいかなーという感想。別の部屋ではジャクソン・ポロックが一枚だけ出ていたのはちょっとテンション上がった。しかも間近で見れたので、それはなかなかよかったかな。