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久々に Web 拍手のメッセージをチェックしてみたら 05-18 とかに一件入っていた。オークスとダービーの予想を、というような内容だった。いや無理、と反射的に思ったが、考えてみると今の競馬一切見てない状態で本番だけ予想してみるのもちょっと面白いかも知れない。時間がとれたらやってみようかと思う。まあ優駿牝馬はどう転んでも無理ですが。リクエストくれた方ごめんなさい。

優駿牝馬は1着がデッドヒートという、中々劇的な結末だったようだ。JRA の G1 では旧八大競走まで含めても初、ということで、殿下によると海外含めてもクラシック級ではわりとレアらしい。まあ1着同着自体多いもんではないわけだし、単にそんなもんだろうとも思う。折角その時に生きていたのに、見そびれたのは少し勿体ない気はする、かな。

G1 級のレースで1着同着というと 1992 年帝王賞*1ナリタハヤブサラシアンゴールドがある。両頭の対戦は2回目で、同年のフェブラリーステークスではラシアンゴールドが勝ち、ナリタハヤブサは1馬身半差の3着だったが、その時は斤量差が 5kg あった。帝王賞定量だったから同斤の 56kg 同士となり、そこで同着となったのはナリタハヤブサにとっては明らかに「並ばれた」瞬間だったし、ラシアンゴールドにとっては「追いついた」瞬間だった。もちろん逆に言えばナリタハヤブサは抜かせなかったのだし、ラシアンゴールドはしのぎ損ねたのでもある。ともあれ、10 番人気だったフェブラリーステークスからわずか2ヶ月でラシアンゴールドはチャンピオンの座に暫定的にながら就き、年間3レースしかなかったダート重賞を1年強で3勝していたナリタハヤブサは王者の椅子を半分失った。
残念ながらこの後2頭の進路は分かれ、二度と相まみえることなくそれぞれに競馬場を去ることになる。ラシアンゴールドは休養に入り、夏に復帰したものの3着2回を重ねて再び休養、そのままコースに戻ることはなかった。ナリタハヤブサ武蔵野ステークスで生涯最高のパフォーマンス[要出典]を見せた後不振に陥り、勝ち星をあげられないまま新潟競馬に移籍する。
決着の保留、というギミックは、18 年前には紡がれない物語のまま終わってしまった。アパパネサンテミリオンには、まずは無事に物語を継続してもらえればな、と思う。

とか書いてるけど相変わらず競馬を観ようという意欲は全然湧かぬ。そのうち気も変わるんだろうか。

*1:帝王賞:当時は確か全国交流ではなく単なる中央招待だった(だとすると G1 級と言えるのかどうかという話になる)……と記憶しているのだが、ちとあいまい。