黄昏通信社跡地処分推進室

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朝のリレー

少し前に(調べてみたら 2003 年から 2004 年だった)ネスカフェ谷川俊太郎の「朝のリレー」を CM に使っていたことがあった。空と雲だけが写っている写真に、詩を2行から4行ずつ重ねて映し出し、次の写真に移ってまた詩の続きを表示し……という CM というよりは詩の PV みたいな映像だったのだが、これは中々良くできていた。もともとこの詩の長さが CM にちょうどいいということもあるし、起承転結が凄くはっきりしていて盛り上げやすい、ということもある。ただ、過剰な演出を排して画像と詩だけに徹している見せ方はとても心地よく、詩の力を信じていることがいい映像につながっているのだと感じる。
先日書いた『現代詩読本 谷川俊太郎コスモロジー』の冒頭に載っている鼎談で大岡信が「谷川の詩は誰も思いつかないようなものを想像力で描き出すものではなく、むしろ誰もが見ている世界をまるで違うやり方で捉えるようなものが多い」というようなことを言っていたのだけど、それを読んだ時におれは「朝のリレー」を真先に想起した。この詩では、実際に起きていないことはひとつも描かれていない。ただ地球が自転してそれぞれの経度に人が住んでいて人々の上に順番に陽が昇る、言ってみればそれだけの自然現象を「ぼくらは朝をリレーするのだ」と一言で捉えてみせる、その視野の鮮やかさが心に残るのだろう。
CM の方は当時ネスカフェのサイトでスクリーンセーバーが配布されていて、おれは喜び勇んでダウンロードして使っていたのだけど、パソコンが代わって失くしてしまい、その時には当然サイトも閉鎖されていてもう手に入れることができなくなっていた。なんとかして手に入れる方法はないものか……と思ってたら、ごくシンプルに Web Archive に残っていた。しかしこれをダウンロードしてよいものか、ちょっとわからんなー。見るのとダウンロードとどう違うんだという話になってくるのかな。