黄昏通信社跡地処分推進室

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サマーウォーズ』観た。面白くて楽しい話だったが、それにしても瑕疵が多過ぎる。評価が分かれている理由がよく解った。いいところはたくさんあるから褒める人は褒めるし、瑕疵が気になる人は歯牙にもかけないレベルの評価になるのだろう。
たとえば、個人的にわりと気になったのはナツキが勝負に用いたのがこいこいだったことだ。何故こいこいか。あれは鍛えられて強くなるようなものじゃない(全くないわけじゃないが、文字通り「全くないわけじゃない」程度)。相手のめくった札が当たることに対して対処しようがないからだ。つまり運ゲーに過ぎる。正しいことをしていれば天が味方してくれるというような話だろうか? そうではあるまい。曾祖母に鍛えられたことに意味があった筈だ。それであれば鍛錬が反映されるゲームじゃなくちゃいけなかった。あと、勝負の前に花札をするシーンがある筈だが(でなければ唐突に過ぎる)、それをカットしたのも解せない。ナツキは物語全体を通してみれば身勝手であまり役に立っていない。この活躍には大きな意味がある筈なのに、それがぼやけてしまっている。
……とかなんとか、そういうレベルの瑕疵が多分いっぱいあるのだ。大家族(あちこちで言われているが食事のシーンはたしかにおいしそうでよかった)、旧家の風景(ただっぴろい続きの間に応接セットみたいなのがやたら置いてあるシーンがよかった)、人と人とのつながり、多少古くさくもありながらいいテーマで、印象的な描写も多かったのだけど、なんとなく惜しいというか、惜しいというには欠けてるものが多いかなーというか、まあそんな印象。
追記:忘れてたが、OZ の描写はよかった。古き良きサイバースペースという感じだ。特定のリソースに辿り着くためにはキーワードで行くか(google 式)、ディレクトリ掘ってくか(yahoo 式)ということになるわけだけど、リソースを視覚化する方法と相性がいいのは後者だろう。視覚化した以上はある程度見通しがいい必要があって、近づいていくとごちゃごちゃある、という感じになるだろうから、あの一見スカスカしてるデザインは多分正しい。視覚化する方法自体が有効なのかってのは、まあ怪しい。あとアバター要るのか?とか。でも、アバターで電脳空間飛び回るのはきっと楽しいに違いないので、ありかなしかで言えばありだろうと思う。かくあってほしい。