黄昏通信社跡地処分推進室

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テレビでグリーの『人生ゲーム』をフィーチャーしている CM をたまたま見かけたら、著作権表示のところに「(C)Hasbro」と出ていた。いつの間にハズブロに買われたんだ?と頓珍漢なことを一瞬思ってから、多分結構前からそうだったのだということを思い出した。英語では人生ゲームの元になったゲームのことを『The Game of Life』と呼ぶが、これは日本語で言う「ライフゲーム」の呼び名と同じになってしまう。そのふたつを区別する時に、前者を『Hasbro's Game of Life』、後者を『Conway's Game of Life』と呼ぶ、という話は聞いたことがあったからだ。*1
しかしこの一致はちょっと面白い、というか、不思議な感じがする。「ライフゲーム」は片仮名語で表現しているが、おそらくライフ部分を訳したら「生命ゲーム」ぐらいになっていただろうと思う。生命という言葉は生物学的な概念を指しているような感じがするし、人生というのは普通文字通り人間の、それも生まれてから死ぬまでの一生を指すイメージだ。
もちろん多義的な言葉はいくらでもあるわけだし、文脈や用法によって想起される意味は違ってくる筈だ。それでも、人生ゲームを指す言葉として「life」を使っていても、そこには生物学的な「生命」は多少たりとも含意されるのだろうし、ライフゲームの文脈において「life」という単語を見ても、「生涯」というニュアンスを全く感じないわけではないのだろう。
外国語を学ぶ意味ってのは、多分こういうギャップそのものとか、ギャップが存在することがもたらす影響とか、面白さとか、そういうところにあるのだろうと思う。だから、「中高6年間習ってても全然しゃべれるようにならないから日本の英語教育はクソ」みたいな物言いに対して「そういうことじゃねえんだよボケ」って言い返すのは、全然ありだろうとは思うのだよね。たまたま見かけたテレビのコマーシャルから生命と生涯についての考えにまで進むのは、日本の英語教育の成果だろうし、おれはこれは結構面白いし人生を豊かにしていると思うのだ(役に立つかどうかは、知らん)。

まあ、それはそれとして、6年あればこういうことやりながらでももうちょいしゃべれるようにもできると思うけどね。

*1:聞いたことがあったっつうか、去年書いてた