黄昏通信社跡地処分推進室

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This Is My Truth, Tell Me Yours

もう、長いこと競馬をやっていない。最後に馬券を買ったのがいつだったか思い出せない。かくも変わるものか、という思いもなくはないが、諦めのような心境の方がずっと強い。こうなるべくしてなったのだ、というような。
時間的・金銭的問題で馬券を買う頻度が落ちていくのと同時に、競馬全体に対する興味も失っていった。おれにとって、競馬に対して馬券が占めている割合は結構高かった。これはずっと前から自覚していた。NetNewsに投稿する時に、シグネチャにしばしば
「センチメンタリズムの入り込む余地がなければ、競馬に何の価値がある?」*1
という文をつけていた頃から、ギャンブルとしての競馬の魅力には気付いていた。
でも、馬券を買う時に、なんらかの理路や思い入れを抜きにして買うことは考えられなかったし、今でも考えられない。そして、その理路や思い入れを築き上げるには、少なくとも自分の場合はかなりの時間を継続的に費やす必要があるということは、経験的にわかっている。そこに再び足を踏み入れるほどの魅力を、おれは今感じることができずに居る。
魅力を感じないのは、競馬が変わったから、なのだろうか。それはわからない。だが多分違う。
身も蓋もなく言えば、たぶんおれは、17 年かけてゆっくり飽きたんだと思う。レースの結果を追ったり、血統を調べたり、対戦成績を確認したり、そういう競馬にかかわる様々のことに、倦んでしまった。そういった行為は全部競馬の楽しみである筈なのに、もうそれに楽しさを見いだせない。
原因は考えようと思えばいくつか思い当たるところはある。
たとえば、インターネットの世界が本当に開けて、情報が文字通りあふれ、凄い人がたくさん目に入るようになったということがある。もうおれなんて完全に井の中の蛙だったな、と思い知らされたし、偉そうな口なんてきけたレベルじゃないんだと感じた。そしてその時、おれも頑張って色々知ろうとしなければ、とは思えず、むしろもうあまり自分が書くべきことなどないのではないか、と漠然と感じるようになっていた。(その割には色々書いてたけど、それはなんとか自分の居場所を見つけようとする悪あがきだった。)
逆に言えば原因なんて何もないのかも知れない。
結婚前、まだ時間はそこそこ取れていた頃、それでも競馬に対して冷め始めているのを感じていて、この日記で「三日坊主新馬チェック」という企画を敢えて始めてみたことがある。自分にレース観戦と知識の吸収を強要するという意図があって、これは大変だったがそれなりに楽しかった。だけど、競馬に対して以前と同程度の熱を取り戻すことはなかったし、書いた新馬のこともちょっと経つと普通に忘れてたりして、あまり役には立たなかった。
この後、死ぬまでにまた競馬をやるかどうか、ちょっとわからない。どちらかと言えばもう何年かしたらまたやりたくなるような気がするのだが、特に根拠はないし、このままずっとやらない可能性もあるとも思う。
競馬を嫌いになったわけじゃない、と思う。ただ今はちょっと、競馬ゲージが足りないんだ、って思うことにしている。いつかまた戻ってくるような気だけはしているから。

*1:うろ憶え。でも大意はあってるはず。これは「競馬はギャンブルで、ギャンブルとして楽しいけど、でも」というのが前提にある。