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『虐殺器官』 伊藤計劃 ハヤカワ文庫JA,2010 ISBN:9784150309848

伊藤計劃のデビュー作にして処女長編。
現在からおよそ 10 年後の近未来、対テロリズムの監視が世界中に行き渡り、あらゆる移動や経済活動が認証抜きには行うことができなくなりつつある時代。主人公クラヴィス・シェパードはアメリカ情報軍の部隊員として、世界各地での暗殺などの「濡れ仕事(ウェットワークス)」を専門に活動している。ある時期から、特定の国や地域が急速に内戦と虐殺の海と化す、という事態が立て続けに起きるようになり、シェパードの追う標的との関連が疑われ始める。
まさに現在と地続きの世界、地続きの時代で、SF らしい大胆な設定を随所にちりばめながら、しかしあり得べき未来を作者は描こうとする。その中に「人は何故人を殺すのか」というシンプルなテーマが、ある時は主人公の個人的な体験に仮託され、ある時は近未来に至っても一向に無くならないテロリズムや内戦や虐殺について描かれる。
作者は殺人を肯定こそしないものの、作中を通じて「仕方のないものだ」という扱いをしているように思われる。それをどう引き受けるかはそれぞれの人に委ねられる。自分の脳の中に地獄を見るアレックス。ピザとビールとモンティ・パイソンで全てを笑い飛ばすウィリアムズ。ウィリアムズに付き合いながらも、死者の国の訪れに悩み続けるシェパード。
人が人を殺す作業がどんどんアウトソーシングされている設定も象徴的だ。企業体に、傭兵に、あるいは年端も行かない貧しい少年少女たちに。自分たちが世界を回していると信じている国の連中がどんなに手を汚すまいとしても、一向に殺し合いはなくならない。シェパードも家族の死と職業上の殺人をいずれも消化することができない。
軍事行動小説としてのスリリングな展開に、SF 小説お得意の近未来のガジェットに、世界各地の空気を描きだす筆致に、血なまぐさい殺戮に、はったり溢れるメインアイデアに、ひたすら引き込まれ、唸らされて、ページをめくった。こんなに色々詰まっているのに、どんどん読み進められるリーダビリティも備えている。おれと同じ歳の作者が、これほどのものを、(解説によると)たった 10 日ほどで書き上げてしまうなんて、とても現実のこととは思えない。でも実際この作品はここにある。
作者が既にこの世にないことは、実は知っていた。各方面にその死を惜しむ人が居て、嫌でも目に入ったからだ。しかしどれほど惜しい才能であったのかは全く判っていなかった。今は書ける。なんて天は理不尽なのだろう。これほどの力を持った人を、どうしてこんなに早くこの世から奪わなきゃならないのか。そして、これは詮無きことだが、どうしてこれほどの人が自分の才能を自覚できなかったのだろう。もっと早く小説を書き始めてくれていれば、もっとたくさんの作品を読めただろうに。
しかし、まあ、世の中はなったようにしかなっていないし、伊藤計劃は長編3冊を残して逝ってしまった。同じ時代にその作品を読むことができるのは、それだけで幸運だと言うべきなのだろう。