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メジロ牧場に寄せて

メジロ牧場が解散するそうだ。もう競馬は見ていないがそれでも一抹の寂しさは覚える。
おれが競馬を本格的に観始めたのは 1992 年で、だからメジロライアンは微妙に歴史の中の馬に近い(前年の宝塚記念はオンタイムでテレビで観ているのだが、それでも感覚的には自分の見た馬に入っていない)。その年に両グランプリを逃げ切って勝つメジロパーマーと、そしてもちろん同期のメジロマックイーンが、やはりおれにとって最初に出会ったメジロの馬ということになるだろう。
そしてその2頭は今となってみればメジロ牧場の集大成とも言える存在だった。メジロマックイーンの父はメジロティターンで、その父はメジロアサマである。メジロパーマーの父はメジロイーグル、その父はメジロサンマン。自らの牧場で繋いだ父系の三代目で2頭の GI 馬を出したのだ。これは当時結構本当に凄いことで、単に内国産種牡馬の三代目に G1 馬を出す、というだけでも他にはなかったと記憶している。よく知らないが今ですらそんなにはないのではないだろうか。
「自ら生産した馬を自ら走らせる」「天皇賞こそを至上とする」という牧場のふたつのこだわりがこれ以上ない形で結実していたわけで、それをなしとげたことがメジロ牧場の特別なところではあったのだろう。
その頃に比べれば、特に 2000 年代以降は衰えが隠せない状態ではあったと思うし、今回解散にあたっては「借金がないうちに手を引く」ということらしいのだけど、正直なところあれでまだ借金なかったのか、とは思わずに居られなかった。
個人的には、メジロパーマー種牡馬として早々と見限ってしまった時点でメジロ牧場もかつてのようではないのだな、という思いは抱いていたので、解散についてひどく驚いたりがっかりしたりということはなかった。上にも書いた通り寂しいという感情はあるものの、あとはお疲れさまでしたとぐらいしか言うべきことはない。