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『エンディング・ノート』 砂田麻美監督 ビターズ・エンド,2011

いくつかの小さな縁と、母の推薦と、息子は預かるから観てこいというありがたい申し出となどあって観に行った。ある引退したサラリーマンが突然発見された進行ガンで手術も不可能、という状況に陥ってからその生涯を閉じるまでを追った映画。撮影・編集・監督はそのサラリーマンの娘である人物がつとめている。
主人公は信じられないほど死とまっすぐ向き合い、むしろ淡々と自分の死の準備を進めていく。監督もまた、その様子をずっと平坦に捉えていく。そのような事態になるよりかなり前から監督は父の姿をカメラに収めていたと見えて、撮る側にも撮られる側にもてらいはあまりない。
とはいえ、起きなかったことは絶対に撮れないし、撮ったシーンのやり直しは利かない。ドキュメンタリーとはそういうものであろうけど、迫り来る父の死をリアルタイムにこれだけ捉え続けるのもしんどい作業ではあっただろうし、編集においてはそれを追体験することになる。大げさな演出はまったくなく、むしろさらっとした作りなのはそういう事情も影響しているのかも知れない。それは説得力を持たないということにはつながらず、事態の進行と登場する周りの人たちの反応とがむしろ強く心に響く。年末に孫が訪ねてくるシーンでは涙が出そうになった。
こんな風に死ねるのはすごいと思うし、なんと素晴らしい人生の締めくくりなのだろうとも感じたけど、まあおれには無理だとも思った。もっと多くの時間を与えられても、ぎりぎりまで何もせずに死ぬのだろう。大抵の人はそうなのではないだろうか(決め付け)。
死を間近に控えた日に、「病院にひとりで居るといろいろ考えるかも知れないから」というようなことを言われた主人公は、「もうさんざん考えた」と返す。当たり前のことだけど、身内が傍で回し続けるカメラにもおさめられないものはいくらでもあるのだ。最後まで張った意地も隠し通した感情も飲み込んだ言葉もたくさんあったのだろう。それが垣間見えたこのやりとりが、特に印象に残った。