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『ベガーズ・イン・スペイン』 ナンシー・クレス/金子司訳 ハヤカワ文庫SF,2009 ISBN:9784150117047

ナンシー・クレスは名前に辛うじて見覚えがある程度だったが、実はかなりキャリアもあるし作品数も多い作家だったことをこれを読んで初めて知った。ただ、日本ではそもそも翻訳数が多くなく、おそらく知名度もそんなに高くないと思われる。この本は日本オリジナルの短編集。
なんといっても表題作「ベガーズ・イン・スペイン」がよかった。遺伝子操作によって眠らなくても生きていける人間が誕生するが、その新しい人間〈無眠人〉たちと従来の人間たちとの間に対立が生まれていくという話。その遺伝子操作は完全に人為的かつすごくお金がかかるため、〈無眠人〉たちは基本的にすごい金持ちの家に生まれついた子供ばかりということになっている。ついでに金持ちたちは自分の子供たちに容姿とかについても遺伝子操作を入れてるので多くの〈無眠人〉たちは眠らずにすむ能力のみならずおよそあらゆる点において秀でている。
そういう設定なので、対立の構図が最初から純粋に能力の違いだけに起因するものではなくて、そここそが既存の「新人類」ものとこの作品をわかたっている。さらに作者は主人公である無眠人のリーシャに一般人である双子の妹アリスを配して対比をより鮮明にしている。ついでに書くとこのアリスは特に序盤は比較的感情移入しづらい人物として描かれていて、読者は自然〈無眠人〉側に肩入れしながら読んでいくことになる。
タイトルでありこの物語のテーマでもある「スペインの物乞い」はかなり普遍的な命題で、いろいろな状況で、場合によってどちらの立場にも置かれながら、日常的に直面する問題である。それに違う角度から光を当てながらあらためて強く意識させる。おれの考える SF の力を存分に持った作品だった。
もうひとつ「ダンシング・オン・エア」も印象に残る。肉体強化技術と人間の身体によるパフォーマンスのあり方というのは SF ではまずまず定番に近いテーマだけど、バレエを題材にしているのは珍しいし、それに母娘の対立や才能と職業の選択なんかを絡めて SF では比較的珍しい物語に仕立て上げている。美しいタイトルも含めてよかった。
一方で日本では作者を代表する作品となっている〈プロバビリティ〉シリーズと同一世界を背景に持つ「密告者」は個人的には悪くないんだけどよくもないという感じで(物語に緊迫感があるんだけど現実世界と地続きであるという感覚があんまり持てなかった。個人的な好み)、こっちのシリーズを訳すんなら長編化されて続編も書かれた「ベガーズ・イン・スペイン」のシリーズの方を訳してくれればよかったのに、と思わずにはいられない。今後邦訳されることを期待している。
収録作品:「ベガーズ・イン・スペイン」「眠る犬」「戦争と芸術」「密告者」「思い出に祈りを」「ケイシーの帝国」「ダンシング・オン・エア」