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『ペンギン・ハイウェイ』 森見登美彦 角川文庫,2012 ISBN:9784041005613

2010年に単行本が刊行され、同年の日本SF大賞を受賞した作品。作者はデビュー作から京都市(特に左京区)を舞台にして、スターシステムを臆面もなく活用しつつ、こじらせ系大学(院)生がぐじゃぐじゃやる話を数多く書いてきたが、本作ではそういった要素から一切離れた。舞台は地方の新興住宅地で、小学生がヒロインたるお姉さんの、ひいては世界の謎に挑むという冒険物語。


主人公は好奇心と行動力が旺盛な小学生アオヤマくんで、毎日種々の独自研究に忙しく、たとえば自分の住む町を探検しては独力で地図を作っている。一方で行きつけの歯科医院の歯科助手のお姉さんと喫茶店でおしゃべりしたり、クラスメイトの美少女ハマモトさんとチェスで熱戦を繰り広げて仲良くなったり、リア充きわまりない毎日を送る。そんな日々の中、ペンギンやジャバウォックや「海」といった謎が主人公の周りに渦まき始める。クラスのガキ大将的存在のスズキくんのいやがらせも受けつつ、親友のウチダくんとハマモトさんの協力を得ながら主人公は持ち前の観察力と分析力で謎に迫っていく。だがとうとう謎は小学生の手の届かないレベルの大事になってしまう。


描かれている世界は明らかに現実世界をベースにしているのだけど、わざと時代をぼかしているのか、はっきりとはいつだかわからない感じになっている。夏休みという設定、主人公がなんでもノートに書きつけて考えるというキュートさ、お姉さんに対する淡いあこがれ、ハマモトさんというとても魅力的な女の子、ちょっと設定を並べ立てるだけでもあざといほどにノスタルジックだが、それこそがこの物語の魅力になっている。


郷愁というのは過去にあったことを「あれはよかった」と思い返すことではなく、むしろ過去の記憶とは結びついているけど実際にはなかったものをこそ「ああであれば(もっと)よかったのに」と想うことなのではないかと思う。過去の体験の記憶を美化しない人はあまり居ないのではないだろうか。だからこの物語は懐かしい。それが美化されすぎたエキスだけを抽出されてしまっていればどうということはなくなるけど、アオヤマくんは所詮は小学生であり、できることには限りがある。そこからもたらされる後半の苦さや切なさがあることで、この物語の懐かしさはますます際立つ。


この作品を SF だとはおれはあんまり思えなかった。おれにとって SF というのは「現実世界の地続きにあるどこかの世界で起こる物語」のことであって、なるほどこの物語の舞台は現実世界が基になっているし、感覚としては懐かしくすらあるのだけど、でも物のことわりは現実世界のそれとつながってはいない。近しいことと地続きであることは別なのだ。だからこれはおれにとってはどうやら SF ではなかった。ファンタジイとかマジックリアリズムとかそんな言葉の方がまだしもぴんと来るように思う。とはいうもののこの作品に SF を感じる人も多かろうし、日本 SF 大賞を受賞したことについてもそれほどの違和感はない。


なんにせよ、SF であろうとなかろうとこの作品は面白いし、作者が新境地を切り開いた快作と言える。森見登美彦好きなら(今更読んでいない人も少なかろうが)是非読むべきだし、これまで森見作品を敬遠してきた人もちょっとかじってみてもいいんじゃないだろうか。