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『ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語』 ヴィトルト・リプチンスキ/春日井晶子訳 早川書房,2003 ISBN:9784152085047

最近読んだある SF の感想を検索していた時に見つけたブログで感想が書かれていて、これはおれのための本なんじゃないかと思い図書館で借りてみた。実は結構前に出た本で文庫版も出ており(ISBN:9784150503666)、それなりに売れた本だったのかも知れない。


メンテナンスマンとして働いていた頃、(一応テーマパークだったので)巡回中は工具箱を持ち歩くわけにいかず、つなぎのあちこちのポケットにいろいろな工具を入れていた。だからその身につける工具については汎用性や携帯性がなにより優先されたわけだが、しばらくやっているうちにドライバーだけは一番単純な真っ直ぐの柄の奴を持っておかなければならないことに気がついた。それだけ使用頻度が高かったし、扱いやすい形のものが必要だった。おれのための本だ、と感じたのはつまりその経験的な実感があったからだ。


著者の専門は建築と都市計画だが、自分の家を文字通り自分で建てたという経歴の持ち主で、道具や工具に対する造詣が深い。その著者が前千年紀の終わりに「この千年で発明された最高の道具」というテーマのエッセイを依頼されたところから本書は始まる。著者は自分の工具箱を探ってみるが、実のところ多くの基本的な工具は 1000 年以上前に発明されていることが比較的あっさり判明する。躓きかけた著者に妻がねじ回しはどうかと示唆を与える。


「ねじ」と「ねじ回し」という言葉と概念の来歴を探る前半は非常にスリリングでスピーディだ。資料を追い博物館を巡りながら現代から過去へねじの歴史を遡っていくわけだが、これがミステリで手がかりを追う場面の如く次から次に新たな事実が現われ、例えば OED の記述をくつがえすような発見がわりと最初の方に出てきたりする。おそらく著者が事実を知った時系列順に正確に沿って書かれているわけではないのだろうと思うが、著者がそれを適宜入れ替えてこのように提示したのだとすれば見事な手際の叙述だし、もし本当にこの本に書かれた順にこの辺りの事実を知ったのだとすればそれは実にわくわくする体験であっただろう。


ある程度までねじの起源を遡ったところから、著者は今度はねじの発展の歴史を追い始める。初期のねじはすべて手作業で作られていたが、精度は低く価格は高かった。それが旋盤の発明を機に精度が向上し始め、価格もどんどん下がっていく。部品の大きさに対する保持力の高さにおいてねじをしのぐものはない。工業化の進行と並行してねじは多くの機械において欠くべからざる部品となっていく。


その発展の歴史の中途にはいくつかのブレイクスルーが存在した。多くのブレイクスルーは職人の手によってなしとげられ、著者はそれらの職人を愛着たっぷりに語る。中でもねじの精度を飛躍的に高める数々のイノヴェイションを成し遂げたヘンリー・モーズレーについて記したくだりは特に印象に残った。

チェスやバイオリン演奏を得意とする人がいるように、モーズレーは周囲が驚くほどあざやかな手際で、精密に金属を成形することができたうえ、機械にかかわる問題の解決策を直感で見つけることもできた。

「彼はどんな工具を使っていても、見る者に喜びを与えてくれました。とりわけ、長さ一八インチのやすりを扱っているところは、たいした眺めでした」

どんな工具を使っていても見る者に喜びを与えてくれた職人というのはどんな男だったんだろう。おれは熟練した職人が持つ自信に満ちた無造作さとでも呼ぶべき手つきが大好きで、テレビなんかでもそういう映像が出てくるとついじっと見てしまうのだけど、長さ一八インチ(約 45cm)のやすりを鮮やかに捌いているところというのは見たことがない。そしてその男は同時に優れた発明家でもあったのだという。なんとわくわくする描写だろうか。


このあと著者はふたたびねじの起源を探って歴史をさかのぼる。そしてある人物に辿り着くのだが、この辺りのくだりはそれはそれで面白いものの前半部分の面白さとは少々質も速度感も異なり、やや勢いを欠いた印象はあった。発端の部分と中盤の職人を描いた部分は文句なしに面白いだけに、竜頭蛇尾のきらいがなくもない。それでも充分に面白く興味深い本だった。


最後に一番印象に残ったくだりを引用しておく。たぶん多くの人はテクノロジーや合理性に対してある種の過信をしていて、その一意性や最適化について疑問を抱くことは少ないのではないだろうか。でもそうではない、と筆者は書く。機械や技術や、それが象った工具や部品にも、芸術作品と同じように作家性は間違いなく宿っているのだ。

たとえば、セザンヌが存在しなくても誰か別の画家が同じようなスタイルの絵を描いただろうと言われても、多くの人は納得しないだろう。その一方で、新しいテクノロジーは登場すべくして登場したのだ、それは必然の結果だったのだと言われれば、たしかにそうだと納得してしまう。だが、この一〇〇〇年で最高の工具を探し求めるうちにわかってきたのは、それは違う、ということだ。








余談。本編中盤でフィリップスねじ(プラスねじ)とロバートソンねじ(四角ソケットねじ)の開発経緯とその比較が差し挟まれているのだが、個人的に気になったのはそのソケットが四角形であることが当然のように書かれていたこと。僕のメンテナンスマンとしてのささやかな職業的体験にだけ基づいて言えば、日本で普及している多角形ソケットのねじは圧倒的に六角形が多い。直感的にはソケットの断面積が同じならかけられるトルクは正方形の方が上のように思うが、中心から頂点までの距離が長くなる分ねじの強度は落ちる。逆に中心から頂点までの距離が同じ正方形と正六角形を比べると正六角形の方がかけられるトルクが大きい、とかがあるのかも知れない。