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MLBにおけるチャレンジの導入

ツイッターでも書いたのだが、今季から MLB でもチャレンジシステムが導入された。最近はいろいろなスポーツで導入されているのでご存じの方も多いと思うが、要するにビデオ判定のシステムのことだ。あるプレイに対する審判の判定に不服があるチームは「チャレンジ」を宣告することで、そのプレイを審判があらためてビデオで確認した上で再判定をくだすことを要求することができる。判定に用いられるビデオの映像は公開される。テレビがあまねく世にあり、録画が簡単に行えるようになって、スマートフォンすら広く普及する現在、もはや審判の目による判定だけではファンを納得させることはできなくなりつつある。


実は野球はチャレンジ制度と比較的相性がいい。ひとつのプレイが続く時間が短い上に、状況をデジタルに再現できるからだ(「ツーアウト2塁、カウント 2-1」。)チャレンジを試みる機会には事欠かないし、成功/失敗した場合それぞれどのような状況から再開するかをある程度機械的に決められる。サッカーでチャレンジシステムを導入することをちょっと想像してもらえれば、相対的にいかに容易かということはおわかりいただけると思う。


その容易さがあり、テニスやアメリカンフットボールNFL)といった先達の成功を間近で目にしていながらなお、MLB はチャレンジシステムの導入に消極的だった。それは誤審すらもゲームの一部であるという伝統的な文化が根強いから……と言いたいところだがそれは理由としては弱い。およそあらゆるスポーツは誤審をゲームの一部として呑み込んでいるはずだからだ。商業的な成功やローカル性(=外圧がないに等しい)も理由にはならない。いずれも NFL も持っている要素だからだ。あるいは審判の発言力が相対的に強いとか、本質的に保守的な傾向を持っているとかそんなような事情があるのかも知れない。だが、いずれにしてもそうも言っていられなくなってきたというのが昨今の状況なのだろう。


先日見たニュースで、青木宣親が内野にゴロを転がし、必死に走ってきわどいタイミングで一塁を踏む、という場面が映された。判定はセーフ。しかし相手チームの監督はあわてず騒がずチャレンジを宣言する。ビデオで見ると明らかにボールが早く、判定は覆ってアウトになった。それを見ておれは「内野安打をチャレンジでつぶされた」と思った。だがそれは正しい表現ではない。チャレンジでひっくり返った以上それは内野安打ではなかったのだ。誤って安打と判定されたゴロが、チャレンジによって正しくアウトと確定した、ということになる。審判のコールはもはや絶対ではなく(これまでも違ったのだが……)“ルーリング・オン・ザ・フィールド”に過ぎなくなった。


そうは言っても審判の権威が失われるわけではない。ほとんどのプレイは最初の判定がそのまま確定になるのだから。それをわかっていても、長年慣れてきた感覚が裏返るまでにはちょっとだけ時間がかかるようだ。これは我ながらちょっと面白い感覚だった。おれはここ3年 NFL を観まくってチャレンジシステムにはそれなりに慣れ親しんできた筈なのだから。違うスポーツを観る時には脳内の別々の文化が活性化されるのだろうけど、そういうこと自体も面白い。
おれですらそうなのだから、慣れていない人なら尚更だろう。少しの間は違和感を、あるいは拒絶反応や嫌悪感に近いものも感じることがあるかも知れない。でもそれはもうそういうものでそういう風にしかならない。そしてそれはそんなに悪いものではないんだよ、ということは言っておきたい。すぐに慣れる、という現実的な対処は別としても、チャレンジシステムが野球に及ぼす影響についてそんなに憂慮する必要はない。