黄昏通信社跡地処分推進室

黄昏通信社の跡地処分を推進しています

福島の王者

殿下のエントリを読んだ.
ということで,フェスティブキングの話だ.フェスティブキングはいわゆる記録より記憶に残る馬だと思っていたけど,あらためて考えてみるとわりと記録もすごい.「特定の競馬場でm戦m勝」「それ以外の競馬場ではn戦0勝」という戦績を残した馬ということになると m=3 辺りでもうかなりレアになってくるんじゃないだろうか.それに多分そういう馬の多くはnが小さいだろう.フェスティブキングは m=5, n=19 とかだったと思う.福島での無敵ぶりと同時にそれ以外の競馬場での見事な負けっぷりがこの馬の真骨頂だった.あと1開催3勝(重賞含む).90 年代以降にこの記録を残せた馬はそうは居ないのではないか*1
負けっぷりで圧巻だったのはなんと言っても関屋記念の次走の朝日チャレンジカップだ.今思えば何故よりによってあんなレースに登録したのかさっぱりわからないのだが,その上1枠を引き当てて,開幕週の高速馬場に全くついていけず三角ぐらいからずるずる下がり続けた.悪い意味で忘れがたいレースぶりで,当時はかなり本気で故障を心配したものだが*2,三週間ぐらい後にしれっと懲りずに重賞に登録をしていたのを見て苦笑いした憶えがある.その後何戦もしないうちにフェスティブキングは長期休養に入り,たしかそのまま引退した.新装なった福島のターフにはとうとう立てなかった.
記録と言ってもいわゆるレコードブックではなくてギネスブックみたいな本に載る方の記録だった.とはいえメモリアルレースを開催する程度には相当する偉業であると思う.システム上選ばれようがなかったということのようだが(まあ実際どこのどのレースでやるんだってのはある.)残念でならない.やるとすればどのようなキャッチコピーがよかっただろうか.「捲りの名手」「荒れ馬場の王者」……なんかあんまり誉めてる感じにならないが,そういう馬だったと思う.


あと,ツインターボは断然七夕賞を推す派.たしか 57.5*3 とかで行って2分切って勝ってるから.いくら単騎逃げでもそんなレースできる馬そうはいない.オールカマーは成長を示したレースだったけど,パフォーマンスとしては七夕賞より常識的だった.まあ中山 2200 で 59.5 とかで行って勝ったんだから充分凄いけども.


この項なにも調べずに書いてるので,間違いとかけっこうあると思う.鵜呑みにしない方がいい.
つうか昔書いてた.だいたい内容同じだった.→http://d.hatena.ne.jp/natroun/20060223#p1 こういうのを年寄りの繰り言という.でも繰り言こそが物語であるとも言えると思う.まあいいや.フェスティブキングは n=24 が正しいらしい.24 戦 5 勝だったか 5 勝 24 敗だったか,いつもごっちゃになる.朝日 CC からは毎日王冠にまわっていたらしい.あり得ないローテーションだ.この二戦の選択は競走馬としての前途を結果的に潰すことになってしまったとすら言えると思う.


追記:トラックバックした.5年ぶりぐらい.

*1:これ 80 年代であれば井崎脩五郎氏辺りが根気よく調べてコラムのネタにしたんだろうな,とか思うと情報の氾濫は物語の細分化と共有しづらさにつながったみたいなことを考えたくなるが,そんなこと言われつくしてるだろうし,単なるファンは語れることを語るしかないんだろう.

*2:馬の情報を手に入れるのはそのころはまだ結構難しかったのです

*3:57.1 だったかも知れない.57.1-62.4 だったかな.