黄昏通信社跡地処分推進室

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小さな花の名前

トカゲとカナヘビの違いは、もちろん大事なんだけど、都会でのエンカウント率でいうとさすがに活用する機会が少なそうな知識ではある。
いま、大人になって、ふつうの勤め人になって、もっと知っておけばよかったと思うのは草花の名前だ。町を歩いていて見かけるようなありふれた草や花の名前をちゃんと知っておけばよかったと思う。


よく言われることだけど、名前を知っている方が絶対に認識しやすくなる。ある花の名前を知ると、途端にその花が妙に目に付くようになる現象は誰しも体感したことがあるだろう。いつもの通り道に咲いていたのに全然認識していなかったことに気付くというのもよくあることだ。日々を過ごす上で草花はなんだかんだ身の回りにたくさんある。それらを認識しやすい方が楽しいし、どうせならば楽しい方がよい。子供と歩いていて花を見たときも、もちろんただ綺麗だねえでもいいんだけど、その時に名前も教えられたら素敵だろうと思うのだ。


少し話がずれるが、息子がまだろくにしゃべれなかったころ、テレビを見ていて対象と全く関係ないところであってもちらりとでもバスが映れば「ばす!」と指摘していた。その頃は、ああ子供は対象とか関係なく隅々まで見ていて自分の知っている概念を認識できたらそれを声に出すのだな、と思っていたのだが、むしろそれは逆で、バスという概念と言葉を知ったから画面の隅に映るバスを認識できたのではないだろうか。概念と名前がなければ、僕たちは世界を切り取ることができないのかも知れない。


中学・高校の山岳部の顧問の先生は生物の先生だったのだけど、現役の頃は花なんて見向きもしないのに、みんな OB になって山に来ると先生この花はなんですかなんて今更訊いてくるんだ、生徒の時に聞いておけばいいのに、と生徒である僕たちに笑いながら言っていた。当時はもちろんぴんと来なかったし、将来自分が花の名前を知りたがるとは到底思えなかったけど、今は OB たちの気持ちがとてもよくわかる。どうせ届きはすまいと思って先生は笑っていたのであろうことも。その先生は早くに身体をこわされて、僕が大学生の頃に亡くなってしまった。今となっては聞きたくても聞くことができない。