黄昏通信社跡地処分推進室

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子供たちを義実家に預ってもらって妻とデート。といってもこれといったことはしなくて、街に出て子供たちの服を買ったり、生地屋をのぞいたり、山道具屋で帽子を買ったり、という感じだったのだけど、それでもふたりだけで過ごせる時間は気軽でたのしかった。特に、街に出る電車に乗るまで 50 分ぐらい歩いたのだけど、それがすごく楽しくて嬉しかった。一緒に歩くのが楽しいというのはよいことだな。


本当につきあい始めの頃――ってことは 11 年以上前になるんだけど――、日が暮れてもまだ一緒に歩いていて、どこだったか、やたら幅の広い歩道橋をのぼって上に出た時、何故かあらためてすごく幸せな気分に包まれて、なにかこの人とだったらどこまででも歩いて行けるんじゃないかというような、それまで一度も体感したことのない妄想的な感覚を味わったことがあった。


それから月日はたって、いまでも僕はその人と並んで歩いていて、それを楽しいとおもう。あの時みたいな浮遊感は流石にもうないけれど、代わりに 11 年間積み上げてきた思い出や共有した感覚がある。それは誰とでも作れるような類のものではないのだと根拠なく思う。根拠がなくても正しいことはあるのだと、いまの僕は知っている。