黄昏通信社跡地処分推進室

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ぎざじゅう

昨日帰りにスーパー2軒はしごしたんだけど、2軒目で小銭入れの中をのぞいた時にギザ十が無くなっているのに気づいた。1軒目の時点ではまだあったから、どうもそこで出してしまったようだった。確かに、あの辺りに 50 円と 10 円と1円2枚があるぞ、と目視して、視線を切ってから指をつっこんで取りだした。その時にぎざぎざがあるかどうかは確認しなかった。昔はギザ十を手に入れたら使わないようにして、家に帰ってから小銭入れから取り出してしまいこんだりしていたものだが、最近はやらなくなってしまった。それでもどうも使う気にはなれなくて、たぶん2ヶ月は小銭入れの中に居たと思う。少し寂しいような気もするが、でもせいせいした気分の方が強い。


小学生の頃、友達がどこかからギザ十は 30 円の価値があるんだみたいなことを聞いてきて、暇にあかせて集めようとしたりした。そのころの自動販売機はお金を入れて買わずに返却しても入れた硬貨がそのまま出てくるようにはなっていなかったから、40 円*1入れては返却、を繰り返してその機械中の 10 円玉をぜんぶさらうことができた。手の温もりがなんとなく残っている 10 円玉が出てくると一周したと判った。当時はギザ十の流通量もまだ結構多かったから、1台から5、6枚は取れたように記憶している。僕たちは錬金術を発見したような気になってほくほくしていた。でも、ギザ十に本当に 30 円の価値があったかどうか怪しいものだし、あったとしても 30 円として使えるわけではなく、むしろもったいなくて使えなかった。使えるお金を手間暇かけて使えないお金に取り替えていることに気付いて、僕たちは錬金術を止めてしまった。(あと、それは錬金術じゃなくて、ただのバイトだ。)


たぶん、製造された全部の年度のを持っていると思う。比較的レアとされている昭和 30 年と昭和 33 年のも両方あった筈だ。とはいえ価値としては本当に知れている。結局のところ額面が 10 円でしかないし、絶対的な枚数でいえば相当たくさん作られているからだ。今の僕はそれを知っている。でも、未だにぎざぎざのついた 10 円玉を見るとなにか特別なものに思えて、小銭入れから出さずにおきたいと思ってしまう。

*1:当然 50 円以上入れると 50 円玉が出てきてしまう