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[糸瓜爆弾義兄弟]心に残るゲームたち (39-1) :『サボテンボンバーズ』



■『サボテンボンバーズ』 1992,NMK/アーケード


はっきりしたことは覚えていないけど、対戦格闘ゲームが爆発的なブームを起こすのと前後して、広いマップの中を進んでいく、いわゆるジャンプアクションと呼ばれるカテゴリのゲームは殆ど死に絶えてしまったと思う。それに比べれば固定画面のアクションゲームはまだ作られていたように記憶しているが、それでももはや花形の存在ではあり得なかった。


『サボテンボンバーズ』はそんな時代に発売された正統派の横視点固定画面アクションゲームだった。左のボタンでショット(爆弾を投げる)、右のボタンでジャンプ、敵を全部倒せば1面クリア。柔らかい床は下から上にジャンプで抜けられるが、硬い床には下や横からでも当たり判定がある。敵に触れても死ぬことはなく、敵の爆弾の爆風に巻き込まれて初めて死ぬ。多くのアクションゲームの「お約束」を忠実に踏襲した、とっつきやすいゲームだった……筈だった。


主人公ははにわさぼてんの「わんぴ」(1P側、緑色)と「つうぴ」(2P側、橙色)。武器は爆弾で、ご主人さまが出かけている間に家の中で好き勝手しようとしている害虫?たちを片づける、というちょっとよくわからない設定がついている。


主人公の投げる爆弾は放物線を描いて飛び、床や壁に当たると跳ね返る。一定回数(たぶん5回)跳ね返った後、次に床や壁に当たると爆発する。耐久力が1発の敵に当たるとその敵を「巻き込み」、爆発した時点で巻き込まれていた敵は死ぬ。耐久力が2発以上の敵に当たると、跳ね返った回数にかかわらず爆発する。爆発すると爆風が広がり、当たった敵にダメージを与える。
やっかいだったのは、自分の投げた爆弾に当たると自分も巻き込まれるし、自分の爆弾の爆風に当たると自分も死んでしまうことだ。もっとやっかいだったのは、2人同時プレイだとおたがいの爆風に当たっても死んでしまうことだ。


地形を見て、どう爆弾を投げれば敵を倒せるか考える。より安全に、より早く、より確実に。敵が出てくる順番と場所を覚え、先手を打って対処する。積極的に攻撃してくる敵相手には、違う段から近づき、気絶させ、あるいは敵の爆弾を捌きながら、うまく立ち回って倒す。この敵にはどう対処すればいい、このような地形ではこう戦うといい、というパターン造りの能力と、細かいところは出たとこ勝負でアドリブで戦う能力が両方攻略に必要で、そのバランスがよかった。


かわいくて、ものによってはちょっとだけ不気味な敵たちもよかった。そんなに種類は多くないのだが、どれもそれぞれに印象が残っている。いきなりしゃがみこんでたばこをふかし始めるうちわさぼてん(緑)、これでもかとばかりに爆弾を投げつけてくるいぽめあ、1回もバウンドしないで爆発する卑怯な爆弾を投げてくるうちわさぼてん(赤)、耐久力はないがぬるぬると厄介な動きで爆弾から抜けまくるごきぶり、動きはチンタラしてるがとにかく硬くて爆弾をぶつけてるだけで心が折れそうになるかぶとむし。


10面ごとにボスが登場する。身体が大きくて耐久力があり、爆弾を数多くばらまいてくる。ステージも特殊な地形が用意されていたりしてなかなか手ごわいが、60 面ぐらいまでは工夫次第ではパワーアップが無くてもぎりぎり倒せるような強さに設定されているのも心憎い。
そんな調子で全 100 面続くのだが、100 面をクリアすると、エンディングが流れた後 40〜90 面あたりにランダムに戻されて2周目が始まる。まさかのループゲームだったのにも度肝を抜かれた。まあ自力では1周できなかったのだが。


かくも楽しいゲームで仲間うちでも結構流行ったのだが、稼働状況はあまり芳しくなかったような記憶がある。『ロケテストの成績が非常によかったためメーカーは張り切ってこのゲームの基盤をいっぱい作ったのに、蓋を開けてみるとあまり売れず、数年後に大量の基盤がバッタ屋に流れて二束三文で流通した』という有名な話があって、実際当時(や現在)の基盤屋での相場やゲーセンで見かけた頻度を考えるとこの話はかなり真実に近いと思われる。


なにが悪かったんだろう、とずっと考えていたのだが、最近思いついた仮説は「やっぱり自分の爆弾で死ぬのはまずかったんじゃないか」というものだ。上にも書いた通り、このゲームは自分の爆弾で死ぬ前提で作られているから、それを計算に入れて作戦を立てるのも面白さのうちになっている。それを承知でおれはもう 20 年以上このゲームを遊んでるわけだけど、それでも自分の爆弾で死ぬと今でもやっぱり理不尽感があるのだ。やり場のない怒りみたいなものが湧いてくる。2人同時プレイに至ってはどう頑張っても1人でやってるときより先には進めない。キャラクター可愛いからってうっかりカップルとかで遊んじゃったりした日にはスタートボタン押した瞬間から事実上の殺し合いだ。殆どのカップルは二度とやらなかったに違いない、とこれは誇張でなく本気で思っている。まあ当時ゲーセンにカップルなんて居たかどうかも定かじゃないけど。


「自分の爆弾で死ぬゲーム」といえば『ボンバーマン』という偉大なる先達がいて、あちらは数え切れないほど移植され、リメイクされた大ヒット作品になっている。だから、この仮説の信憑性はその程度のものでしかない――けれど、爆弾が自分の置いた場所にとどまり、爆風の届く範囲もほとんど自明であるボンバーマンと、思いがけないバウンドですっ飛んできた爆弾に巻き込まれて死んでしまうサボテンボンバーズでは、理不尽度合いにずいぶん差があると言っていいだろう。
自分の爆弾で死ぬことが面白さのうちにはなっている、と上では書いたが、他方で不可欠な要素だとまでは決して思わない。いくぶんかの調整を施せば、自分の爆弾では死なない設定にしても面白くできたんじゃないだろうか。少なくともその可能性はあったように思う。そういう意味で惜しかったゲームだった。


理不尽さをある程度乗り越えることができれば、あるところからぐっと面白くなる。まあたぶん、そういうゲームはたくさんあって、多くはそこを乗り越えてもらえずに沈んでいったのだろう。そういうことも含めてゲームの実力だから、もう少し我慢してみて、というのは本来ナンセンスだ。でもそれを承知でおれは言おう:当時もしこのゲームをやってみて、少しやったところで諦めてしまった人がこの文章を読んでいたら、次にこのゲームと会ったとき、もう少しだけやりこんでみてほしい。ある点を越えると、このゲームの底力が見えるはずだから。



次回予告

補遺が長くなりすぎたので、次回小ネタ集とします。