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暗黙のルール

こんな記事があった。


<高校野球>健大高崎は“暗黙のルール” を破ったのか | THE PAGE(ザ・ページ)


記事自体はまあ妥当だよね、という程度の内容なんだけどブコメが結構面白くて、読んでいるとスポーツの“暗黙のルール”を日頃から意識している人はあまり多くないのではないかという印象を受けた。
暗黙のルールが全くないスポーツってのは多分殆どないのです。多い少ない、試合における影響の大きい小さい、という差はあるだろうけど、全くないスポーツは珍しい筈。だって、暗黙のルールってのはつまりある文化におけるそのスポーツの美学だから。例えば日本柔道では一本勝ちこそが至上とされる。細かいポイントを稼いで勝ちに行くのはよい勝ち方ではないから、技をかけるときは決めるつもりでかけなければならない。これだって暗黙のルールだ。ブコメでは「暗黙のルールとか止めてほしい」みたいな意見が散見されるけど、これも駄目だろうか。


上で単に「そのスポーツの美学」ではなく、わざわざ「ある文化における」とつけたのは、スポーツが生まれた土地を離れて他の文化に受け入れられる時、往々にしてそこには違う美学が生じるからだ。欧州柔道は綺麗な一本勝ちを必ずしも重要視しない。レスリング的に細かいポイントを積み上げることにも美を見いだす(のだろう)。
ブコメでは興行と高校生のトーナメントを一緒にするなという意見も多く見られる。でも僕が思うに、MLB と日本の高校野球が異なる暗黙のルールを持っているのは一方が年間 160 試合やってもう一方がシングルエリミネイショントーナメントだから、なんていう合理的な理由じゃないのだ。それぞれが違う文化を背景に持っているからだ。繰り返すけどそれは美学なのだから、合理性は基本的に意味を持たない。日本柔道と欧州柔道はどちらも同じように興行ではないけど、やはり当然にそこには差異が生じる。


だから暗黙のルールってのは、輸出したり輸入したりするとおかしなことになりがちだ。一時期清原和博氏が相手投手が直球勝負しないことを批判していたけど、僕は当時あれに強い違和感を覚えていた。どうしてそういうことを言えるのだろうと思っていた。たぶん清原氏MLB 文化の暗黙のルールが当然に NPB でも通用するべきものだと考えていたのだろう。実のところ当事者たちも暗黙のルールの支配力がなにに担保されているかわかっていないのかも知れない。


ともあれ、冒頭の記事のような議論が出てきたら、その議論のきっかけになった試合がどのような文化のもと、どのような暗黙のルールのもとで行われたのかを考えなくちゃいけない。日本の高校野球の暗黙のルールは、僕がブコメで書いた通り「全力を出さないのは相手に失礼」であろうと思う*1。であれば健大高崎のしたことは全く正しい、と評価するべきだろう。冒頭の記事にはほぼそのようなことが書いてあるのだけど、最後の段落のおかげで少し焦点がぼやけてしまっていると思う。

*1:これがほんとうにそうであるかどうかには議論の余地がある