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『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』 原恵一監督,2015

※ネタバレ多少あり
というわけで、観てきた。当初は二子玉川に行く予定だったが先週金曜日で終わっていて、テアトル新宿に。テアトル新宿は結構ホールとか階段とかにもパネルや雑誌記事とかをべたべた貼っていてかなり力が入っているようだった……と感じたけど最近映画ほとんど見てないからわからん。
おれら夫婦はふたりとも原作が大好きで、だから期待しつつも不安もありという感じだったのだが、とてもよかった。杉浦日向子のアニメに向いてるんだか向いてないんだかわからない絵柄(線がシンプルなのは向いているし、それを巧みに省略表現に振り向けているのは向いていない)がどうなるかと思っていたが、ちゃんと杉浦日向子の絵が動いていた。
全 28 話、わりと厚い単行本上下巻の原作を 90 分の尺に収めたということでかなり削ぎ落とされていることは想像できたが、映画を観た後あらためて読み返してみると原作ではレギュラーの登場人物が出てこないエピソードも多く、お栄を中心に組み立てていくとそれほど無茶なカットでもない。一番大きな変更は北斎の女弟子のお政が登場しないことで、これによって北斎の描写がかなり減ってしまっていて、ひとことで言えば生臭さがだいぶ薄れてしまっているのだけど、まあとにかく全部を詰め込むことはできない。あとは国直がポジション的には少し割を食っているかな。
それだけに中心に据えたお栄はよく描けていた。原作とかなり目鼻立ちは違うがそれでいて違和感はなかったし、怒った顔やつまらなそうな顔といったネガティヴな表情もいきいきしていた。杏の声もよく合っていて、映画館に貼られていた記事に「乱暴な言葉遣いになっても下品にならない」というようなことが書いてあったのだけど、なるほどそういうところがあると思う。一人称の「オレ」もさまになっていた。後半北斎に対して声を荒げるところなども実によかった。
エピソードごとの尺の使い方も実に上手く、原作を読み返してみると漫画なら数駒の描写が映画では数分になっていたり、逆に火事のエピソードのように骨子だけを抜き出したところもある。漫画の文法と映画の文法をきっちり自覚して丁寧に翻案しているということで、違うメディアにするのなら当たり前のことなのだが中々的確に行うのは難しいことと思う。またお政を削ったことに象徴的だが、無理に多くの人物を出そうとしておらず、むしろかなり整理していることにも好感が持てた。アニメだと人ひとり増やすの大変なはずなので、そういう事情もあったのかも知れない。
ストーリーで軸に置かれたお猶は原作ではたった1話でしか登場していない。そのため前半から中盤のお猶がらみの部分は数少ない映画オリジナルのパートになるが、漫画に入っていてもおかしくなさそうなできであった。お猶の話をフィーチャーすること自体は『百日紅』としてはいささかウェットすぎるようにも思うのだけど、少しは向こう受けも狙わなくてはなるまい。
手が抜ける話が入っていたのはよかったところで、原作でも他に走屍の話があったりするように『百物語』にも通じるような日常と地続きの怪異譚は杉浦日向子の得意としたところで、ひいてはそういうことが普通に起きる時代と場所、というのが杉浦日向子の江戸観でもあったのだろう。だからこの手のエピソードがひとつは入っていて欲しかったし、それにこのエピソードを選んだというのはよかった。
まあそんなこんなで、原恵一監督が本当に杉浦日向子も『百日紅』も好きなのだなあというのが強く伝わってきて、それであれば多少の相違点というのは問題にならないものだという、これもまあ当たり前のことを感じた。原作のファンとして歓迎できる映像化であったし、原作を知らない人にもこの作品が届き、あるいはこれをきっかけに原作を手に取る人がきっと出てくるだろうことは率直に喜ばしい。そもそもは原監督が『合葬』の企画を持ち込んだところから今回の『百日紅』の映画化の話につながったとのことで、この人が作るのであれば合葬も見てみたかったなと思ったけれどさすがにそれはかなうまい。
ともあれ、面白い、よい映画だった。