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『絶対音感』 最相葉月 小学館文庫,2002(単行本は小学館,1998)

絶対音感』 ISBN:9784094030662


絶対音感というものに、少しだけ興味がある。かつての部署の同僚に絶対音感を持っている人がいたのだが、その人はあらゆる音に音名をつけられるレベルで、よく乗る鉄道ではトンネルを「ソのトンネル」とか「ラのトンネル」とかラベリングして憶えていたという。突入するときの音の高さはトンネルによって違うのだそうだ。そんなこと考えたこともなかったし、言われてもまったくぴんと来ない。その人にとっては世界そのものが、少なくとも音に関しては、まるで違うものとして捉えられているのではないだろうか。


この作品は第四回小学館ノンフィクション大賞を受賞した作者のデビュー作なのだが、作者はまず音楽家や科学者 100 人に「絶対音感はありますか?」という質問状を送るところから執筆を始めたという。その時の回答を、あるいは回答を足がかりに行ったインタビューをもとに、作者はまず絶対音感とはなんなのかということを丁寧に示していく。それによると絶対音感というのはもともと幼児に対する音楽教育として始まったある種の訓練の成果物で、適切な時期に適切な訓練を受けさせればかなりの割合の子が身につけることができるらしい。ある程度天賦の才が要求されるものだと想像していたのだが、どうもそういうことではないようだった。


絶対音感というと本当に絶対的な感覚を想像してしまうが、実際はかなり大きな差があって、それこそ上で書いた人のようにあらゆるものに音名がつけられてしまう人もいるし(おれの中ではなんとなくこういうイメージだった)、音楽であればできるという人もいるし、自分の楽器以外ではわからないという人もいる、らしい。また精度も人によっていろいろで、1ヘルツ違うともう気持ち悪くてだめという人もいるし、数ヘルツなら気にならないという人もいるという。この辺りは上で書いた「ある種の訓練の成果物」であるという側面があらわれているような気がしていて、生来の耳の鋭敏さとかが感覚に影響しているのかも知れない。


絶対音感があると、特に音楽家としては便利であることは間違いないらしく、合唱の時の音合わせや楽器の調整、聞き取った曲を楽譜に移すこと、あるいは逆に作曲をする場合など、絶対音感のあるなしで速度が全く違ってくるのだという。ところが逆に困ることもしばしばあって、外国のオーケストラと仕事をしたりすると基準のA音が必ずしも 440Hz じゃなくて 441Hz とか 442Hz とかだったりするらしく(これは初めて知った、時代によって違うみたいな話は聞いたことあったけど)、鋭い感覚の持ち主ほどその1、2ヘルツの違いに悩まされることがあるらしい。また日常生活でも例えばあらゆる曲が音名に変換されて頭に入ってくるので音楽を聞きながら本を読めないとか、テープレコーダーやレコードプレーヤー(どちらも今やレガシーメディアですね)の回転数が少しでも狂っているとものすごいストレスになるとか、そういう支障もあるらしい。


個人的にはそういう絶対音感の実像に触れた部分が一番面白かった。インタビューの対象が多いため、実例がこれでもかとばかりに挙げられていて、それは説得力にもなり面白さにもなっている。科学者にもインタビューはしていて、音と耳に関する知見などはそれなりに興味深い部分もあるのだけど、絶対音感そのものについてはほとんどなにもわかっていないに等しいらしい。それはそうだろうと思う。
後半は五嶋みどり・龍のきょうだいとその母節のエピソードにかなり紙数が多く割かれていて、中々興味深かったがおれが知りたいこととは若干ずれている感じはあった。


芸術というものはどうしても主観から切り離せないものだから、音楽/音楽家にとって絶対音感というのがどのような意味を持つかという問いは初めから正答を持たない。それでもそこに近づくために様々な角度かららせんを描くように核心に迫っていく。その上でわからないところはわからないということを恐れない。かように誠実に書かれていて、そのためか腑に落ちる感じは強く、なるほど売れるだろうという気もしたし面白かった。
絶対音感については、近いうちにもう一冊本を読むつもり。