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『わたしを離さないで』 カズオ・イシグロ/ 土屋政雄訳 ハヤカワ epi 文庫,2008 



『わたしを離さないで』 ISBN:9784151200519


いまテレビドラマやってるらしいが、それとは関係なく手に取った。イシグロの作品読むのは『日の名残り』『遠い山なみの光』に続いて三作目で、このブログで感想を書くのはこれが初めて。
ある施設で育った女性が、「介護人」として過ごした 12 年間を終えて、施設での日々とそこで出会ったふたりの友人を中心にこれまでの半生を振り返る物語。大枠で言うとこれこそは正しい意味で SF であるように思うが、技術そのものについてはほとんど全く前面に出てこないのでまあ SF とは言いがたいかも知れない。
施設の日々は概ね時系列に沿って描かれるため、読者は施設で育った子供たちが受け取る情報を同じ順番で受け取っていくことになる。意外に早くその施設がなんであるかとか、そこで育てられている子供たちが何者であるのかなどの情報は提示される。そこは謎ではないのだ(作者もこの物語について未読の読者に語るときその情報は伝えてもかまわないというようなことを言っていたらしい)。ではその状況で子供たちはどのように育てられてどのように生きるのか。そこは腑に落ちるようでもあり落ちないようでもあった。個人的には、そんなに唯々諾々と役割を果たすだろうかということをどうしても思った。逃げ出したり下りたりする者が多いのではないか。しかし、このように育てられたら、案外そういうものだと思うようになるかも知れないとも思った。
後半になると、主人公が育った施設「ヘールシャム」が他の施設とどう違ったのかということに話の焦点が寄っていく。図画工作が奨励され、謎の訪問者が定期的に現れて優れた作品をピックアップして持ち帰る(このシチュエーション!)。なぜそうであったのか。そしてヘールシャムはどうなったのか。他の施設の子供たちは最後まで登場しないが、そちらはどのようであったのか。終盤にヘールシャムの位置づけと運命が示されることで、このシステム全体がどのようなものであったのかが示唆される。それは「そうなるだろうな」と想像できるものであり、明示的に描かれないところに薄ら寒さがある。
限られた世界、限られた時間の中で、主人公は自分の下してきた決断を(悔いはさまざまにあろうにもかかわらず)基本的にもう覆らないものだからとほとんど諦めている。それでもあやふやな、かりそめの救いを求めてあがいてみせる。その結末も読む側にはだいたい想像がつくのだけど、それでも少しの間だけでもなんとかならないものかと願ってしまった。