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『オートメーション・バカ─先端技術がわたしたちにしていること─』 ニコラス・G・カー著/篠儀直子訳 青土社,2014



『オートメーション・バカ─先端技術がわたしたちにしていること─』 ISBN:9784791768448


さまざまな分野でオートメーション――自動化は進んでいる。一番顕著な例が航空機の操縦だ。飛行が順調な場合は機長と副操縦士がなすべき操作はそれほど多くはないらしいと聞く。それほどまでに航空機の操縦は自動化されている。しかしいざという時は人間が介入して操縦しなければならない。結果として何が起きるか。時として介入した人間が致命的な誤りを犯し、大事故をもたらす。
もちろん人間が見事に事故を防ぐ場合もたくさんある。だが、自動操縦はパイロットの技倆水準を低下させていることはほぼ間違いないという。そして普段触れる機会が減っている操縦にピンチに陥ってから直面しなければならないわけだ。一定の割合で事故が起きることは避けがたいことであろう。


オートメーション自体がまずいという話ではなくて、人間の得意な仕事と機械の得意な仕事をきちんと見極めて役割分担すべきだ、ということで、具体的にはたとえば機械が自動的に何かを行うのを人間が監視してまずいことがあったら修正する、みたいな分担はありがちだけど駄目らしい。基本的に上手くいくことをじっと見ていると人間の注意力は著しく下がる。そうではなくて、そのオペレーションの中で人間が一定の役割を果たしつつ、機械がそれを補助したり拡張したり、という関係でないとよくない、というのが著者の主張だ。
この本を紹介していた人が「邦題が下品なのが残念」と書いていたが、それはその通りだし、少しミスリードにもなっている。オートメーションのおかげで人間がバカになるわけではない。いや、まあナビゲーションシステムの普及のおかげでみんなナビ無しではどこにも行けなくなりつつあるみたいな話も出てくるからそういうことも書いてあるのだけど、あくまで主眼としては適切な役割分担の必要と、そのためのオートメーションのデザインが重要だという本だと理解している。


ソフトウェア・プログラマーは人間工学にほとんど関心がないという指摘は面白かった。なんとなく多分そうだろうという気がするし、これまでのオートメーションってのはそういうものでもあったのだろう。ただそれを乗り越えるのはむずかしいだろうとも思った。
先日読んだ『テクニウム』と併せて、技術とのつき合い方を考える契機となったが、生きて行く上でそれを何かに反映させることはあんまりないかも知れんと思う。それこそがテクニウムというものの性質であるのか、あるいはおれが思考停止に陥っているのか、もう少し考えてみたい。