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『サクリファイス』 近藤史恵 新潮文庫,2010



サクリファイス』 ISBN:9784101312613


サイクルロードレース小説。ロードレースを題材にしたフィクションは言わずと知れた『弱虫ペダル』以外にも『茄子 アンダルシアの夏*1や『シャカリキ!』など案外あるが、小説となるとめずらしい。そもそもスポーツと小説はそこまで相性がいいものではなく、どうしてもスポーツの魅力の一部は「人間の身体能力の限界を見せる」ものである以上、フィクションであっても視覚的描写の伴う漫画やアニメの方が向いているのはある程度自明ではある。


とはいえスポーツの面白さがそれ以外の部分にも大いに宿っているのはまた確かだと思う。サイクルロードレースであれば、平均的な読者にとっては多分サイクルロードレースというスポーツのあり方そのものがまず興味深いのではなかろうか。空気抵抗が大きいという競技特性のため、隊列を組むことがものすごく有利で、そのためチーム戦という形態が採用されている。各々の選手にとっては、自分のチームのエースを勝たせることがとりあえずは至上の目的だ。しかしそれはあくまでとりあえずの原則に過ぎない。競技そのものはあくまで個人単位で順位を競うものになっているのだ。


……みたいなことが、物語を通して提示され、そしてその「スポーツのあり方」に対して主人公が抱く葛藤そのものがストーリーを駆動している。そこはとてもうまい。もちろん、そうでなくちゃこのスポーツを題材にする意味がない、なんてことは言わないけれど、そうなっているとやっぱりおおっと思うものである。
また主人公の設定も巧みであると思った。主役になりたくないタイプってわりと感情移入しやすいと思うんだよね(そんなことない?)。能力の設定も、あんまり現実離れしてると興醒めしてしまうが、このぐらいであれば現実の日本人選手でもぎりぎりいそうだなというところを突いてきている。もっとも、このあたりは物足りなく感じる人もいるかも知れない。


終盤、ある悲劇が起こり(カットバックで冒頭に登場するシーンなのでこれは書いてしまう)、物語は大きく転回する。最後にその悲劇の真相と、本書のタイトルの真の意味が明かされるのだけど、正直なところこれはヒロイックに過ぎるのではないかと思った。それがスポーツを逸脱してしまっているのも残念だった。上で書いた通り、サイクルロードレースというスポーツそのものを描いている作品であるだけに、その中で展開してほしかった。

*1:原作『茄子』は一話完結のオムニバスで、全3巻中ロードレースが登場するのは2回だけ。1回目が「アンダルシアの夏」の原作になった前後編で、これは本当にくそ素晴らしいが、3巻に収録されているもう1回は全く面白いところのない凡作。オムニバスであるにもかかわらず『茄子』3巻の失速はすさまじく、それと前後して黒田硫黄の描く漫画はどれもこれも面白くなくなった印象がある。『セクシーボイス アンド ロボ』が連載中断したのもこのあたりの時期だったと思う。以後アフタヌーンで『みし』や『あたらしい朝』などを手がけるがいずれも平凡で長続きせず、あれほど面白かった漫画家が何故と思うが、まあ創作者にはままある残酷な運命、なのかも知れない。