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『完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯』 フランク・ブレイディー著/佐藤耕士訳 文春文庫,2015



『完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯』 ISBN:9784167904357


結局読んでしまった、ボビー・フィッシャーの伝記。うんざりするかも知れないと思っていたが、まあ確かにうんざりするところはあったものの、そこまででもなかった。どちらかといえば残念だという思いのほうがずっと強かった。


著者は少なくともある時期――おそらくはかなり長く――フィッシャーのかなり親しい友人であったとのことだが、フィッシャーの友人はほぼ全員最終的には縁を切られていて、著者もその例外ではなかったらしい。しかしこの希代のチャンピオンのそばにいて強く惹かれていた者として、膨大な資料を参照し、また自らも多くの人にインタビューを行って、伝記執筆の材料を集めた。


フィッシャーが少なくともチェスに関しては天才であったことと、ある時期に世界最強であったことは、どうやら疑いの余地がないようだ。巻末にある羽生善治の解説によれば、世界トップクラスのプレイヤーふたりを相手に立て続けに記録した 6-0 という成績は「考えられません。」とのことで、実際素人目にもありそうにない数字だということはわかる。そして、数少なかったチャンスをものにして世界王者になっている。


だが、フィッシャーのチェスプレイヤーとしてのピークはそこで終わってしまった。このころ既に対局時にいろいろな要求をしたり、会場に遅刻したり現れなかったりといった奇行が目立っていたが(まあ「難癖」と言っていいレベルだと思う)、王者になってからはますますそれに拍車がかかり、私生活でも宗教や陰謀論にのめりこんでいった。人前にあまり現れなくなり、防衛戦を放棄して王者の座を失うと、あとは公式に対局することはほとんどなかったようだ。10年近く隠遁してから突如現れてスパスキーとの“再戦”を行ってはいるが、もちろんレベルの高いカードではあったにしても世界選手権に比べればおそらく格は落ちただろう。それに勝ったあたりは流石と言えるのだろうが。


アメリカを追われてからはいくつかの国を転々とし(日本にもかなり長い間滞在していたらしい)、マスコミを避け、基本的には貧しい暮らしを送った。陰謀論からは生涯離れられず、現代医療も信用していなかったようで、歯の詰め物を全て除去するというレベルで忌避していたという。人とのつきあいを長続きさせることができず、最後まで孤独だった。
なぜ、と問うても詮無いし、誰が悪いものでもないし、あらゆる人生がそうであるように、違う道があり得たかどうかもわからない。それでも、これほどの天才が真のチャンピオンとして君臨し、王者の座を守り、やがて若い力に打ちのめされるまで戦い続けた世界があり得たのだとしたら、おれはチェスについてまったくなにも知らないけれど、それでもそっちの方が絶対見たかったなと思う。
そして、いかに本人が変人で差別主義者で奇妙な考えにとらわれていたとしても、フィッシャーの後半生は世界的なボードゲームのもしかすると史上最強のチャンピオンが辿ったものとしては、いささか苛酷に過ぎたのではないかと思う。





おれはボビー・フィッシャーという人を朝日新聞日曜版で 1998〜1999 年にかけて行われていた連載「100 人の 20 世紀」で初めて知った。今にして思えばスパスキーとの再戦後の時期で、フィッシャーが日本に居た可能性のある頃なのだが、ずば抜けた強さと奇矯な振る舞い、そして記事の執筆に際してインタビューを依頼したところ対価として一千万円*1を要求したというエピソード、どれも印象に残った。それ以来、なんとなくずっと少しだけ気になっていた人物だった。別にチェスを指すわけでもないのにボビー・フィッシャーについての本を二冊(比較的)続けて読んだのは、このときのひっかかりが今でも残っていたからだと思う。読み終わってみて、どうやらひっかかりは外れたような気がする。

*1:と記憶しているが、「10 万ドル」だったかも知れない。もし原文に「一千万円」と書かれていたとすればそれはフィッシャーの居場所を示唆していたことになって大変面白いのだが、さすがに記憶違いであろう。