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『叛逆航路』 アン・レッキー著/赤尾秀子訳 創元SF文庫,2015



『叛逆航路』 ISBN:9784488758011


本作の主人公ブレクは戦艦に搭載された AI――つまり戦艦そのものだ。この作品の世界では AI は意識を持っている。その仮定自体はそれほど突飛なものではない(まあ、少なくとも SF なら)。ところが、その意識は人間より処理能力が全然高いのだから、軽く数百体の身体を動かせるはず、と言われたらどうだろうか。ついでにその身体は別にどんな形でもいいよね、たとえば戦艦そのものでもいいし、そこに乗り込んでる人間でもいいよね、と言われたら? おれは正直そんなこと考えたこともなかった。自分の想像力(のなさ)が情けなくなるが、ともあれこの物語はそういう設定の下に進む。


上でちらりと書いた、AI の持つ人間型の身体が「属躰(アンシラリー/ancillary)」だ。大型戦艦は船体の中に大隊単位で属躰を持っている。それらももちろん自身の一部であるから、文字通り自分の身体として動かせるし、目や耳からの情報を得るためのセンサーにもなるし(そのためのさまざまなインプラントを体内に持っている)、属躰の方でも戦艦側で行った計算結果のフィードバックを瞬時に得ることができる。すげー。超人の形態はいろいろあり得るが、こういう蟻みたいな集合体ってのはあんまり見たことがなかったかも知れん。ちなみに属躰は人間からつくることもできるし、手間やコストはかかるがスクラッチから作れることにもなっているようだ。


作中世界ではラドチという巨大な帝国が多くの星系を支配下におさめている。ブレクはラドチの戦艦としてまだ支配下にない星系を「併呑」する仕事をしていた……が、それはこの物語の時点では過去の話(回想のパート)になっていて、作中の現在においてはブレクは本体を失い、ほぼすべての属躰を失い、たったひとつの属躰だけを持つ存在になってしまっている。それってつまりなんなのだろう、戦艦じゃないわけだし、かといってもちろん人間ではないし、でも身体は人間と同等で、意識もあって感情もある。
AI が感情を持つ理由は「素早く判断をするため」とわりとさらっと作中で説明されていて、これはおもしろいなと思った。人間は感情を交えずに判断を下すことに消耗してストレスを感じるという研究結果があるけど、それを裏返しているわけですね。まあ感情の導入が実際どれだけ判断の高速化に役に立つかわからんけど(個人的には懐疑的。効果があるとしてもかなり限定的と思う)、設定としてはよいと思った。
また、作中のやはり複数の身体を持つ登場人物について、もろにその人物にとっての自己同一性の問題が出てきて、どこまでがその人なのだろう、とか考えるほどわけがわからなくなっていき、でもそれが面白い。


設定の話ばかり書いてしまったけど、一応ストーリーに触れておくと、ブレクは上記の状況に陥れられた原因に対して復讐を誓って旅をしている。これはまたとびきり「人間っぽい」理由であると言える。辺境の惑星でかつて戦艦だった頃の「知人」を拾い、復讐のために必要なものを探している。この過程で過去の話が絡んでくる。回想パートはかなりの分量を占めていて、併呑における支配状況を通して人間と戦艦/属躰の関係性を描いているのだが、その中でブレクが抱いていた淡い思慕があらわれ出てくる。


もうひとつ SF らしい設定は、ラドチでは個人の性別に重きを置かないので文化/言語における男女の区別がない、ということ。そうすると地球の言語ではいきなり記述が難しくなってしまう。作中ではしかたなく三人称はすべて「彼女」で通しているのだけど、そうすると当然「彼女はたぶん男だろう」みたいな文が頻出して、自然言語の限界につきあたってくる。この辺りは刊行早々から Web ミステリーズに掲載されている以下の記事にくわしい。


「彼女はたぶん男だろう」――あらゆる登場人物が女性形で呼ばれるアン・レッキー『叛逆航路』、5カ国語でどう訳す?[2015年12月]


言語によってつまづくところはさまざまみたいだけど、とにかく問題が生じるのは間違いなくて、欧州の言語だと男性形と女性形があったり、日本語では一人称とか役割語とか、言語ってものが性別に対して全くフラットにできていないことがはっきりわかる。という意味でとても SF 的な設定と思う。
で、性別に意味がないのはあくまでラドチの話であって、併呑された星系の原文化には普通に男女の別があったりするのだが、ブレクはほとんど男女の区別をすることができない。性別を間違えると相手が気分を悪くしたりするので推測が当たっているといいなと思ったり複数形で呼びかけることができてほっとしたりしているのだけど、それを読みながらどちらかと言えば「それぐらいで気い悪くしてんじゃねえよ原住民」と思ってしまった。いや待て、これおれが気にする側の人間だよな。とはいえ、これも面白い感覚ではある。


ともあれ、human であろうと computer であろうと、woman であろうと man であろうと spaceship であろうと ancillary であろうと、being は being であって、通じあうところもあるしまったく理解しあえないこともある(ほとんど意志の疎通ができないような異種族も登場する)。考えてみるとかなり楽観的な設定だけど、この辺りの話はまた後の作品でストーリーに絡んでくるのかも知れない。そう、決して少ないページ数の作品ではないが、これは三部作の幕開けに過ぎず、この後シリーズは『亡霊聖域』(創元 SF 文庫)、“Ancillary Mercy”、と続いていく。


決してとっつきやすい設定ではないけれど、それさえ飲み込んでしまえば、さすがに主要 SF 賞を総なめにしているだけあってストーリーは読ませるしディテイルもうまい。楽しく面白い作品で、三部作の最後まで読みたいと思った。





なんかぐだぐだだなこの感想……。