黄昏通信社跡地処分推進室

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ツイッターにも書いたが、昨日我が家に来たばかりのカブトムシの、オスのほうがあっさり死んでしまった。昨日おれが昼過ぎに帰ってきたときにはもうなにか力がない感じで、これは長くはないかも知れんと思っていたが、夜にはひっくり返っていて、朝になっても動かないままだった。息子は起きてからそれを知り、どうにもならないと悟るとおいおい泣きはじめ、おれが家を出るまでその嘆きの声はさして広くない我が家に響きつづけた。こんなに泣くものかと驚いてしまった。よく聞いていると、さびしいとかかなしいとかの他に、もう一匹買って欲しいとか、みんなにも見せたかったのにとかいう言葉も混じっていて、ペットが死んでしまったという悲しさ以外にも所有していたものを失ってしまった悲しさも混じっているのだなあというのがわかった。それはもちろん当たり前のことだし、明確に区別できるものでもそもそもないのだろう。なんにせよこれは子供が乗り越えなければならない感情の動きなので、とても大切な涙だと思うけれど、側にして聞く身としては子供がおいおい泣いているのはやっぱりつらいものがある。
ちなみに娘は最初ちょっと「かなしい」とか「かわいそう」とか言っていたが別に泣くでもなく、途中からは「兄を慰める妹」ポジションで息子にいろいろ言葉をかけては悦に入っていた。年齢のせいか、思い入れがないだけか、性格か、いろいろ理由は考えられるが、まあ面白いもんだなと思った。





夜例によって車を借りに行って、伝統にしたがって電気グルーヴの『ORANGE』をかけながら帰ってくる。「誰だ!」はほんとうに素晴らしくアホで、名曲としか言いようがない。