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『シン・ゴジラ』 庵野秀明監督 東宝,2016

ゴジラシリーズの最新作。すごく面白かった!
おれはゴジラは一作も観たことがなくて、知識としてもほとんど知らない。それでも家にはゴジラのソフビ人形があって、小学生の頃『ゴジラ対メカゴジラ』という映画をやっていたのは憶えていて、ゴジラを唯一完全に破壊できるのがオキシジェンデストロイヤーだということは知っていた。たまたまかも知れないが、それだけの存在感がある作品ではあったのだろう。


さておき、そんなわけで“ゴジラ”としてどうこうということは全然言えないのだけど、単純にディザスター映画として見ていてとにかく面白かった。矢継ぎ早の展開と、どんどん進行する状況に対して最初もどかしいほど鈍い政府の対応、そしてさらにゴジラが強くなる、ようやく武力を繰り出すのにどんどん後手に回ってしまう手遅れ感。ゴジラのデザインもいろいろなベクトルで気持ち悪く、白目の大きい目玉とかはコミュニケイションの可能性をデザインレベルで否定していて(これは妻の言っていたことの受け売り)、この気持ち悪さはすごくよくできてるなーと思った。あのエラみたいなのとか、そっから赤いのがべたべたぼとぼと滴るところとか、あと夜のシーンで内側がなんとなく鈍く光ってるところとか、いい気持ち悪さ(なんだそれは)だった。


知っているところに圧倒的な異形が現れるというのもよかった。たとえば最初遡ってくる呑川という川はそれほど大きい川じゃないんだけど、たまたま車で時々通るところで、「あの川か……!」と思うとなんかテンション上がったし、京急の品川あたりとか、多摩川の防衛線とかもよかった。
CG もかなり頑張っていたとおれには思えて、感情移入を阻害されることはなかった。だからこそ前段の「知っているところに異形が現れる」が強度を持つのであって、日本映画もなかなかやるじゃんと思った。
演出もなかなかうまくて、最初の方のマンションのシーンで室内の映像があって、あれは実写だと思うんだけど、わーって傾いたあとぱっと CG の全体の絵に切り替わるんだけど明らかに部屋自体は潰れている。同じ手法は二回か三回使われている。死体とかを出さなくても、CG の引きの絵に頼るだけでなく悲惨な状況を描けていて、これなんかは同様の手法でも CG の精度が上がることでぐっと説得力が増してるんだと思う。そういう辺りもよかった。


巨災対は「フィクションのベタ」という感じはあるのだけど、こういう人いそう、いるかも、のレベルでは絶妙なリアリティがあって、そこがよかったし、その中に市川実日子を放り込んでくるのはすごいセンスだ。尾頭さんよかったよね……! 


そして最終決戦、ここぞとばかりにすごい絵がつぎこまれる。ビルがどかんどかん壊れたり、なんとか爆弾が突っ込んだり、特殊車両が登場したりするのを、うおー、やれー、みたいな感じで見ていた。ちょっと絵面で気になるところがあったり、ちょっとだけあっさりしすぎてたかな、と思ったりもしたけど、そこら辺はまあ些細な瑕疵だと思う。単純にわくわくしたし、変な言い方だけど、ゴジラも頑張れと思いながら見た。けっこうがんばっていたと思う。


最後に残されたものをあのあとどうしたと思う? と妻に聞かれて、おれは「周りに公園でも作るんじゃないかな」と答えた。考えがあってのことじゃなくて、ただぱっと思いついたことを口にしただけなのだけど、なかなか悪くない答えなんじゃないかなと思った。





本作といい『君の名は。』といい、過剰な情報を提示する映画が大ヒットしたのはちょっと面白いなーと思う。庵野秀明の方はある種の芸風でもあると思うのだけど、新海誠は意図的にやっていたみたいで、それが思惑通り当たったということは大げさに言えばある種の当代の感覚なのだろう。


あと、すでに書いたとおりシン・ゴジラは9月上旬に観ている。基本的には観たり読んだりしたものをその順番に書いていてだいたい3〜4週間遅れが常なのだけど、『君の名は。』だけは順番を飛ばして観た三日後に書いている。