黄昏通信社跡地処分推進室

黄昏通信社の跡地処分を推進しています

『グッド・フライト、グッド・ナイト──パイロットが誘う最高の空旅』  マーク・ヴァンホーナッカー著/岡本由香子訳 早川書房,2016

グッド・フライト、グッド・ナイト──パイロットが誘う最高の空旅 (ハヤカワ・ノンフィクション)

グッド・フライト、グッド・ナイト──パイロットが誘う最高の空旅 (ハヤカワ・ノンフィクション)

現役の民間航空機パイロットが書いた空の本。飛行機の話であり、航空業界の話であり、操縦士の話でもあるけれど、それらを全部ひっくるめた「空」の話というのが多分一番適切な紹介だろう。


著者は小さい頃から空が好きだったがパイロットになろうとはなぜかあまり思わなかったらしく、大学院まで進んで研究者を目指していたが、急にやはりパイロットになりたいと思って、コンサルティング会社に3年勤めてお金を貯めてから無事に夢をかなえてパイロットになった、という少々ユニークな経歴の持ち主。
研究者を目指していたから、というわけでもないのだろうけど、なにごとにも説明がかなり細かいのが著者のユニークなところで、たとえば飛行機における「速度」というのは少なくとも四種類ある、なんて話が書かれている。さらに実際に四種類すべてを説明し、それらがそれぞれどのような役に立っているかを語っているのだけど、一般向きの本だったらまあ入れなくてもいいんじゃないの……というくだりだと思う。しかしこの詳しさが飛行機にまつわる様々な事象に対して及ぼされていることで、飛行機に対して少しずつ親しみが湧いてくる。考えてみると、飛行機について知っていることって思っている以上に少ない。もともと飛行機好きで詳しいという人でもなければ、読み終わる頃には飛行機に関する知識がだいぶ増えることと思う。


パイロットの生活がちらちらとかいま見えるのも楽しいところだ。なんとなく話には聞いたことがあるが、やはり移動が多く大変な仕事であるらしい。あまりに高速の移動は移動した当人が今いる場所になじめない感覚を生むという。世界中行けて楽しそうだなと端からは思うが、世界中に行くというのはそれだけで人間にとってはなかなかな負担であるようだ。だからこそ、パイロットには移動先でのトレッキングを趣味にする人が結構いるのだそうだ。わかるようなわからないような話だけど、そういうものかと思って読むだけでも楽しい。


著者は日本がわりと好きらしく、高校生の頃に日本でホームステイしたことがあったり、もちろん仕事でもしばしば立ち寄ったり上空を通過したりすることもあって、日本にまつわる話がちょくちょく出てくるのも読んでいて嬉しい。中でも面白かったのは「日本語を学んでいる人はしばしばお気に入りの数詞の話をする」というくだり。そういえば数詞というのはない言語の方が多いかもしれないけど、好きな数詞ってのは考えたことがなかったな。著者のお気に入りは「本」だそうです(川や航路など長いものを数える数詞、と説明されていた)。


しかしなんといってもこの本で素晴らしいのは空そのものの事物の描写だ。雲であったり、ジェット気流であったり、夜であったり、太陽であったり。それらをほんとうに美しく、親しみをもって描いてみせるので、読んでいるとあこがれのような感情がわいてくる。たまに飛行機に乗ることがあっても、狭い窓から一生懸命外を見るのってなんとなくちょっと子供っぽいような気もして、ある程度年がいってからはほとんどしていなかったけれど、でもやっぱり空って素晴らしいところなんだなあとあらためて思わされた。そしてそこにある冷たさと広さと自由と孤独とを、きっと著者は愛してやまないのだろう。
というわけでなかなかによい本でありました。空や飛行機に興味のある向きは、ぜひ一読を。





ところで本文におさめられなかったけどセントラリアという町の話を初めて知った。地下の炭坑で火災が起き、消火することができずに地下の鉱脈が 50 年以上燃え続けているのだという。町はゴーストタウンと化し、ほとんどの建物が打ち捨てられたがまだ 10 人ほど住んでいる人がいるらしい。そんなフィクションみたいな町があるんだねえ。夜に上空から見ると、地下の火災が不気味に輝いて見えるのだそうだ。